春を願いながら

山南敬助×桜庭鈴花+近藤勇+土方歳三+沖田総司


 ◆◇◆◇◆◇

「近藤さん、さっきの言葉、本気ですか?」
 山南と鈴花の気配が完全に消えてから、沖田は近藤に訊ねた。
「ああ、もちろん」
 近藤は表情ひとつ変えず続ける。
「まず、桜庭君を持て余していたってのは本当だったからね。どんなに剣術に優れてたって、やっぱり女の子だって思うと、どっかで気を遣っちまうんだよ。あの子には、女の子としての最高の幸せを手に入れてもらいたい。――まあ、ちょっとした親心ってヤツかな? そして山南さん。あの人は、簡単に死なせるには惜しい人だ。確かに、あの人だけを特別扱いするのはどうかとも思ったさ。けど、何だかんだ言ってもあの人とは試衛館時代からの付き合いだから……。総司だって、山南さんが死んでしまうなんて嫌じゃないか?」
「――そうですね」
 沖田は小さく笑みながら、初めて山南と出逢った時のことを想い出した。
 今もそうであるが、当時も山南は武士とは思えぬほど柔らかな空気を全身に纏っていて、小野派一刀流免許皆伝とは到底信じられなかった。
 しかし、木刀を手に沖田と対峙してきた時は、普段の穏やかさからは想像出来ぬほどの気迫で、沖田を圧倒した。それでいて荒々しさは微塵も感じさせず、むしろ剣使いが舞いのように美しかったと記憶している。
 そう、昼間に見た決闘と同様に。
(本当に惜しいな……)
 先の決闘を振り返りながら、沖田は思った。
 山南は優し過ぎる性格が災いして、無闇に剣を振るうことを嫌っていた。
 そんな彼を駆り立てたのは、やはり、可愛がっていた小六という少年の死だったのだろう。そして、新選組から孤立しつつあることで、どこかで死に場所を求めていたのでは、とも沖田は薄々ながら勘付いていた。
「総司」
 名前を呼ばれ、沖田ははっと我に返った。
 近藤と土方が、同時に視線を向けている。
「実は、お前にひとつ頼みたいことがある」
 そう口にしたのは、近藤だった。
「頼みたいこと? 何ですか?」
 怪訝に思いながら首を傾げていると、近藤は人差し指を小さく動かす。
 沖田はそれを、こっちに来い、という合図だと解釈し、正座したままで近藤と土方の近くに寄った。
 近藤は沖田が近付くなり、驚くべきことを耳打ちしてきた。
「えっ……! それって……」
 沖田は声を上げそうになって、慌てて自らの口を両手で塞いだ。
 まさか、幹部以外の人間で局長の部屋に近付くような物好きな隊士がいるはずもないと思うが、聞き耳を立てられていないという保証もない。
「それにしても……」
 深呼吸をして心を落ち着かせてから、沖田は声を抑えながら言った。
「また、凄いことを考えましたね……」
「まあ、山南さんを生かすためには、な。――総司には重荷を背負わせちまう羽目になってしまうが……」
「いえ、僕は別に構いませんけど。でも、土方さんは? 本当にいいんですか?」
 沖田は土方に向き直って訊ねる。
「――いいわけねえだろ」
 沖田の真っ直ぐな視線をまともに受け、土方は苦虫を噛み潰したように顔を顰めながら答えたが、「だが」と続けた。
「今回は近藤さんが思いのほかしつこくてな。それに、さっき俺が山南さんに言ったことも本当だ。あの人の理想とやらは俺には理解不能だが、あの人自身が嫌いだってわけじゃねえ。ただ、これが他の隊士に知れたら大事だな。近藤さんも俺も信用を失う。いや、それどころじゃ済まねえかもしれない」
 土方はそこまで言うと、自らを嘲るようにフンと鼻を鳴らした。
 新選組を纏め上げるために、隊内では〈鬼〉となっているが、本来の土方は決してそんなことはない。
(この人の本質は、長い付き合いの僕や近藤さんじゃないと分からないからな)
 そんなことを思いながら、沖田は小さく笑みを零した。

 ◆◇◆◇◆◇

 山南は自室で鈴花と向き合ったまま、黙っていた。
 先ほどの近藤の言葉は素直に嬉しいと思った。しかし、自分だけが特別扱いを受けるのは如何なものだろう。しかも、鈴花まで巻き込んでしまうことになろうとは。
(どうしたらいい……?)
 山南は心の中で自分に問い質す。
 鈴花もまた、思うところが多過ぎるのか、正座をしたまま俯いている。
(やはり、逃げるなんてことは……)
 そう思った時だった。
「山南さん」
 今まで黙っていた鈴花が、おもむろに口を開いた。
 山南はそれに反応して鈴花に視線を向けると、鈴花は真っ直ぐな瞳で山南を見つめ返してきた。
「山南さんは、生きたいと思いますか?」
「え……?」
 鈴花の問いに、山南は小さく声を上げる。
 いったい、何を言いたいのか。そう思っていると、鈴花はゆったりとした口調で続けた。
「私、日中の決闘を見たあとで気付いてしまったんです。――山南さん、勝ったとしても命を絶つつもりでいるんだ、って。悔しかったです。だって……、山南さんは何ひとつ間違ったことなんてしていないのに……。悪いのは、何の罪もない小六君を斬り捨ててしまったあの土佐藩士なのに……。それなのに、どうして山南さんが……? 山南さんには夢があるのでしょう? 山南さんの夢は、私の夢でもあるんです! けど、山南さんがいなければ……、夢なんて……、叶えられるはずもない……!」
 鈴花はそこまで言うと、山南に腕を伸ばし、そのまま自らの身体を預けてきた。
「山南さん、私は生き延びるために逃げることが卑怯だなんて思いません。むしろ死ぬ方が狡いです。それに、置いて逝かれたら私はどうなるんです? 私は……、山南さんが生き続けてくれると言うのなら……、どこまでも一緒に……」
「――しかし……、それでは君が……」
 山南が言いかけた言葉を、鈴花は「構いません」と遮った。
「確かに、新選組を捨てて逃げるということは照姫様を裏切ってしまうことになります。でも、今の私は、照姫様以上に山南さんが大切な存在なんです。だから山南さん、一緒に行きましょう? 刀も捨てて、未来ある子供達のために生き続けるんです。――小六君の分も」
「――鈴花……」
 山南は鈴花の名を口にした。
「――本当に、私は生きていてもいいのだろうか……?」
 確認するように鈴花に訊ねると、鈴花ははっきりと「もちろんです」と答えた。
「山南さんは、これからも生きていていいんです。――いえ、生きていかなければなりません」
 鈴花の力強い言葉は、山南の心にも響いた。
 死ぬしか道はない。しかし、まだ、死にたくはない、ともうひとりの自分が訴え続けていたこともまた真実であった。
「鈴花」
 山南は鈴花の華奢な身体を強く抱き締めた。
「これからもずっと、私の支えとなってくれるかい?」
「もちろんですよ」
 山南の腕に抱かれながら、鈴花は頷いた。
「山南さんは、私にとって全てなんです。だから、着いて来るなと言われたとしても、私は絶対に離れたりしないんですから」

 ◆◇◆◇

 山南と鈴花の決心が固まってから、ふたりの〈脱走〉はひっそりと、だが、速やかに実行された。
 荷物は最小限に留め、鈴花はいつもの袴姿から女物の着物へと着替えた。
 しかし、一番気になっていたのは刀。忌むべき存在であることに変わりはないが、それでも苦楽を共にしてきた相棒と言っても過言ではない。
 鈴花もまた、愛刀と別れてしまうのは忍びないであろう。
 しかし――
「もう、私達に刀は必要ないのですから置いて行きましょう」
 未練など微塵も感じさせず、鈴花は山南に向かって言った。
「ああ、そうだね」
 鈴花の言葉は、何故かひとつひとつに説得力を感じさせる。
 山南は小さく笑むと、腰から刀を外し、鈴花の愛刀と共に部屋の片隅に置いた。
「それじゃあ、行こうか?」
 山南が立ち上がると、鈴花もそれに倣い、頷いて静かに立つ。
 これから開かれるであろう、明るい未来を信じて――
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