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決闘が終わった晩、山南は近藤の部屋を訪れた。
偶然か必然か、そこには都合良く土方も居合わせていた。
「山南さんが戻って来たってことは、無事に決闘は済んだってことだよな?」
頼りない灯台の明かりの中、近藤が静かに口を開いた。
山南は「ええ」と頷く。
「私が、土佐藩士を斬りました。――私の一太刀で、彼は……、あっけなく……」
山南はそこまで言うと、自らの手を見つめた。
ただ、怒りを鎮めるためだけに申し出た決闘。人を斬ることは何度もあったが、それでも、やはり慣れるものではないらしい。心なしか、手の平が小さく震えている。
「山南さん」
手の平を見つめ続けている山南に、近藤は神妙な顔付きで言った。
「あんたは新選組総長だ。総長であれば隊規については知ってるだろうし、禁を破った場合はどうなるかも……、当然、分かっているよな?」
念を押すように訊ねる近藤に対し、山南は黙って頷く。
「――私には、どんな覚悟も出来ています……」
山南がゆっくりと口を開くと、近藤は「そうか」と哀しげに笑んだ。
「では、これから俺が命じることにも従ってくれるな?」
「無論です」
近藤の問いに、山南は、静かだがはっきりと答えた。
「私のような者がいたら、隊を乱すだけです。ですから、ここは潔く腹を……」
「ちょっと待った!」
山南が言いかけた言葉を、近藤が遮った。
「一方的に話を進められちゃ困るな。それに、俺が言いたいのはそんなことじゃないんだし」
「え……?」
山南が怪訝に思いながら近藤を見つめていたら、障子の向こうから「近藤さん」と声が聴こえてきた。
少年のようなあどけなさの残る声。
その声の主が誰であるのか、山南は確認するまでもなくすぐに分かった。
「おお、総司。入ってくれ」
近藤に呼ばれた声の主は、「失礼します」と言って障子を静かに開いた。
現れたのは、山南の思った通り、沖田であった。だが、そこには沖田だけではなく、何故か鈴花の姿もあった。
殆ど足音も立てずに室内に入ってくるふたりを、山南はただ、呆然としながら眺める。
「さて、全員揃ったことだし、今後について話そうか?」
ふたりが正座したのを見届けてから、近藤が口を開いた。
「まず、ウチの隊規についてだが、如何なる理由があれ、私闘をした者は自ら腹を斬ることになっている。それは山南さんだけではなく、俺もトシも例外じゃない。しかし、俺は山南さんが死ぬのを黙って見ているなんて絶対に出来ない。山南さんは隊士だけではなく、壬生界隈の人達の人望も厚い。山南塾に集まって来ている子供達からも、どれほど山南さんを慕っているかが伝わってくるしな」
近藤はそこまで言うと、山南を真っ直ぐに見据えた。
「率直に言う。――山南さん、あんたを新選組から除隊する」
一瞬、何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。
今聴いた言葉は空耳か。そう思い、山南は確認の意味も込めて訊ねた。
「近藤さん……、あなた今、私を除隊する、と仰ったような気がしますが……?」
「ああ言ったぜ」
近藤はあっさりと言ってのけた。
「要は、ウチには隊規を破るような総長は必要ないってことだ。でも、あんたのような男を易々と死なせるのも惜しいしな」
「そんなこと……、出来るわけないでしょう!」
山南は唇を震わせながら声を荒らげた。
「隊規を破るような総長は必要ない、というのは分かります。しかし、私だけ特別扱いをされるなんて……。今までだって、どれほどの人間が無念の死を遂げてきたか……。それなのに、私だけがのうのうと生き続けるなど出来るはずがない。土方君、君はどうなんだ? 近藤さんがこんな馬鹿げたことを言っているのだから、少しは止めるなりしたらどうなんだ?」
両腕を組みながら近藤の隣に座っている土方に、山南は問い質した。
土方は眉間に皺を寄せ、両腕を組みながら貝のように口を閉ざしている。
そんな土方を、山南は険しい眼差しで睨んだ。
部屋の中に、不気味な沈黙が暫し流れる。
「――隊規違反は見過ごせねえよ」
今まで黙っていた土方が口を開いた。
「だが、俺も近藤さんと考えは同じだ。あんたのように綺麗事ばかり並べ立てる人間は好かんが、あんたのことは……、決して嫌いじゃねえ。長いこと一緒にいたから、俺にも情が移ってしまったのかもしれんな」
土方はそこまで言うと、苦笑いを浮かべた。
正直な所、山南は土方に良い感情を抱かれていないのでは、といつも思っていた。それだけに、山南の驚きは相当なものであった。
「そんなわけだから」
土方が言い終わる瞬間を見計らったかのように、近藤が再び口を開いた。
「山南さん、あんたには直ちに屯所から出て行ってもらう。もちろん、有無はいっさい言わせないよ? あ、それとついでに桜庭君も一緒に連れて行ってくれると有り難いな」
「桜庭君を……?」
山南は目を見開いて、鈴花の方へ視線を送る。
鈴花も何も話を聞かされていなかったのか、口をぽかんと開けたまま近藤を見つめている。
「お言葉ですが、近藤さん」
山南は鈴花から近藤に向き直った。
「何故、桜庭君まで除隊を? 仮にも彼女は容保様の義姉君からの口添えで入隊した身。その桜庭君を除隊、しかも、禁を犯した男と逃げたとなったら……、彼女の立場がないでしょう?」
「なら、山南さんが攫ったことにすればいい」
非難する山南に対し、近藤はさらりと言ってのけた。
「山南さんだって、本当は桜庭君に刀を捨ててほしいって思ってんだろ? 確かに桜庭君は腕が立つ。それは俺だって認めてるさ。でも、結局はただの女の子に過ぎない。桜庭君、そういうわけだから山南さんと一緒に行ってくれ」
「――そ、それは……」
近藤の言葉に、鈴花はあからさまに困惑している。
無理もない。いきなり呼び出されただけではなく、唐突に除隊を命じられたとしてもすんなりと返事を出来るはずがない。
「――少し、考える時間を与えてくれませんか?」
鈴花の気持ちを代弁する気持ちも籠めて、山南が言った。
近藤は眉間に皺を刻みながら、「うーん」と唸る。
「――本当は悠長なことを言ってられる余裕なんてないんだけどな。けど、山南さんの言うことはもっともだね。分かった。なら、少しだけ猶予を与えよう。しっかり考えて、山南さんと桜庭君、ふたりで答えを出すように」
近藤が言い終えてから、山南は鈴花に視線を送った。
鈴花は戸惑いつつも、ゆっくりと頷く。
それを確認した山南は、「分かりました」と答えた。
「では、今から桜庭君と共に私の部屋に行き、話し合ってきます」
山南はそう言うと、鈴花を伴って自室へと戻った。