彼女は繰り返し夢に見る。愛する人に刃を向け、斬ってしまったあの日のことを――
そうしてほしいと望んだのは彼だった。けれども、何故、刀を収められなかったのだろう。
斬られた後、満足そうにしていた彼の微笑みは、彼女の胸を酷く締め付けた。そして、彼を斬ったことを悔みながら一生を送るのだろうと思っていた。
◆◇◆◇
「……い……おいってば!」
夢と現実の狭間の中で、誰かが鈴花を呼んでいる。
(起きなきゃ……)
そう思うものの、身体はなかなか思うように動かない。それでも何とか自分自身を鞭打つように、重い瞼をこじ開ける。
徐々に視界が開けてくる。
すると、真っ先に鈴花の目に飛び込んできたのは、自分の顔だった。
鈴花は一気に覚醒した。と同時に、自分を覗き込んでいるもうひとりの自分をまじまじと見つめる。
「――あのさ、俺の顔に何か付いてる?」
もうひとりの自分は、怪訝そうに鈴花に訊ねる。
いや、そこにいる自分は鈴花とそっくりでも鈴花ではない。若干の幼さは感じさせるものの、声は鈴花のものよりも低めだし、頬に付いた肉も彼女に比べてすっきりしている。
「――平助君……?」
ようやく鈴花は、自分にそっくりな者の名前を呼んだ。
「なんだ、寝惚けてただけか……」
未だ目の焦点が合わない鈴花に対し、藤堂平助は呆れたように小さく溜め息を吐く。
「それにしても、何だってこんな所で眠りこけてたんだい? 一瞬、俺がいない間に急に倒れたのかと思って心配しちゃったよ」
「え? ――あ……」
鈴花は身を起こしながら、何もない畳の上で眠っていたことに今さらながら気付いた。
「やだ……、ちょっと休むつもりだったのに……」
みっともない姿を晒してしまった恥ずかしさと、藤堂によけいな心配をかけてしまったことに対する申し訳なさとが交錯し、鈴花はその場に正座しながら俯いた。
「――まあ、鈴花さんが何ともないんなら別に構わないけどさ」
藤堂はそう言いながら、鈴花と向かい合わせになるように正座する。
「でも、ただでさえ今は大事な時期なんだから、変な場所で居眠りなんてしちゃダメだよ?」
「う、うん……」
藤堂の言葉に頷きながら、鈴花はそっと自らの腹部に触れた。
今、鈴花の中には新しい命が眠っている。
油小路の変があった日、藤堂は永倉と原田によって命を救われ、奇跡的にも命を吹き返した。
その後は鈴花と共に傷の療養をしながらひっそりと暮らしていたが、鳥羽伏見の戦いの時、再び周囲の前に姿を現した。――才谷、そして何より、敬愛する伊東の仇である大石を斃すために。
結果は、今こうしていることでも分かるだろう。
大石を見事に討ち果たしてからは、藤堂は刀を捨てた。
山南や伊東同様、平和を何よりも愛していた彼。
もう、人を哀しませる道具などいらない。藤堂はそう思っていたのだ。
鈴花もまた、藤堂と同時に剣を捨てた。
剣で身を立てるつもりでいたが、藤堂と出逢ったことで、剣を持つことの愚かさを改めて実感した。
そして今、祝言を挙げ、残りの余生は穏やかに暮らそうと互いに誓い合った。あとは、新たな家族が増えるのをふたりで心待ちにしている。
「この中にいるのは男の子かな? それとも、女の子かなあ?」
藤堂は満面の笑みを浮かべながら、鈴花の手に重ね合わせるように自らのそれを添える。
「どっちでもいいわよ」
鈴花もまた、藤堂に釣られて口を綻ばせた。
「明るくて、元気で、思いやりのある子。それ以上は何も望まないわ」
「そうだね。明るくて元気で……。でも……」
「でも、何?」
鈴花が首を傾げながら訊ねると、藤堂は躊躇いがちに口を開いた。
「――やっぱり、女の子なら伊東先生、男の子なら近藤さんにそっくりだといいな。ほら、伊東先生は男の子でも女の子でも可愛いと思うけど、近藤さんそっくりな女の子は……、ちょっとなあ……」
何となく予想はしていたが、藤堂のとんでもない発言に今度は鈴花の方が呆れた。
「――平助君……、それはどう足掻いたって無理よ……」
頬を引き攣らせながら、鈴花は言った。
「だってこの子は平助君と私の子なのよ? ――別に伊東さんや近藤さんがダメだと言っているわけじゃないけど……。でも、この子は確実に、平助君か私にしか似ないわよ……?」
「えっ? そうなると……、俺と鈴花さんってそっくりな顔をしてるんだから、生まれてくる子も同じ顔ってことじゃないか!」
自分より賢いはずなのに、そんな当たり前のことも分からないのか。鈴花はさらに呆れ返った。
そんな鈴花の思いをよそに、藤堂はまた無理難題を押し付けてきた。
「だったら、そっくりな子が出来るまで頑張ろうよ! 下手な鉄砲も……」
藤堂が言いかけた時、鈴花は咄嗟に手を出した。
「馬鹿っ! いくら私だって、そんな体力はないわよっ! それに、下手な鉄砲も、って何なのっ?」
「わわっ、ごめん! 今のは冗談だってば! だから落ち着けって!」
ひたすら藤堂を叩き続ける鈴花に対し、彼は必死で謝罪しているが、先ほどの発言がわりと本気であったことは鈴花もお見通しであった。
「もう、知らない!」
鈴花は叩くのを止めると、今度は頬を膨らませてぷいとそっぽを向いた。
分かっている。これは、伊東や近藤に対する嫉妬だ。あのふたりと自分を比べること自体が間違いであるのは承知しているが、それでもモヤモヤとした不快感は消えない。
暫しの間、ふたりの間に気まずい空気が流れたが、不意に藤堂が、「鈴花さん」と、囁くように鈴花の名を呼んだ。
気付くと、鈴花は藤堂の元へと引き寄せられていた。
突然のことに鈴花は抵抗も出来ず、そのまま藤堂の中にすっぽりと包まれる。
「ほんとにごめんな? 確かに伊東先生や近藤さんにそっくりな子は欲しいけど、でも、一番は鈴花さんに似た可愛い子がいいな。顔だけじゃなくて、中身も、ね?」
藤堂はそう言うと、鈴花の唇にそっと己のそれを押し付けた。
彼の不意打ちには慣れている。慣れているはずなのに、鈴花の心臓は破裂しそうなほどまで早鐘を打っている。
「あれ? 鈴花さん、顔が真っ赤になってるよ?」
藤堂はニヤリと意味ありげに笑んだ。
「な、何……?」
些かの不安を感じ、鈴花は逃げ腰となる。
だが、藤堂の中に囚われている鈴花は、どう頑張っても逃れられない。
「大丈夫だよ?」
藤堂は邪気のなさそうな笑みを鈴花に向けてきた。
「いくら何でも、身重の鈴花さんに無理はさせないからさ。その代わり、今日はこのままあんたを抱き締めさせてよ」
【初出:2009年3月14日】