そっと囁いて

藤堂平助×桜庭鈴花+才谷梅太郎+永倉新八+原田左之助


 藤堂が巡察から戻って来ると、庭先でひとりの男を取り囲むように数人の男達が何やら話をしていた。
「みんな、こんな所で何してんの?」
 藤堂は輪の中に近付くなり、誰にともなく訊ねる。
「おお! 藤堂君!」
 大仰なほど声を上げて藤堂に話しかけてきたのは、中心にいた男――才谷梅太郎であった。
「今まで巡察だったのかえ? ご苦労だったのう」
「ありがとうございます。で、何をしていたんですか?」
「それは、わしからみんなに、ちいっと異国の風習について話していたんやか」
「異国の風習、ですか?」
「そうじゃ」
 藤堂がおうむ返しに問うと、才谷は大きく頷いて続けた。
「異国では二月十四日に、〈ばれんたいん〉という風習があるんじゃ。その〈ばれんたいん〉ちゅうのは、年に一度、女子(おなご)から好いとる男に愛の告白を出来るっちゅう日になっとる」
「へえ!」
 初めて耳にする〈ばれんたいん〉という異国の風習に、藤堂の興味は膨らんだ。
 年に一度だけとはいえ、女性から愛の告白をされるなど日本では絶対に有り得ないが、告げられて悪い気は絶対にしない。それも、自分が密かに想い続けている人であるなら尚のこと。
(でも、彼女はどうだろう……?)
 藤堂はふと、自分とそっくりな女性隊士のことを思い浮かべた。
 明るくて優しく、常に隊士達を温かく包んでくれる少女――桜庭鈴花。唯一の女性隊士でもある鈴花は、当然ながら、藤堂以外にも想いを寄せている男がいるのを知っている。
「あの、才谷さん」
 藤堂はあることを考えながら、才谷に訊ねた。
「その〈ばれんたいん〉ですけど、逆に男から女の子に愛を伝えるっていうのもありでしょうか?」
「うーん、どうじゃろなあ……」
 才谷は顎を手で擦りながら、考える仕草を見せた。
「聞いたことはないが、それも良いのではないかのう。もちろん、女子おなごから好いとると言われて悪い気はせんがの。しかし藤堂君、何故そんなことをわしに訊くんじゃ?」
 怪訝そうに才谷に問われ、藤堂は内心慌てた。
「いえ。ただ何となく気になっただけです」
 努めて冷静に答えたものの、それでも才谷は疑わしげに藤堂の顔を覗っている。
(考えてみるとこの人も、彼女に想いを寄せていたはずだった……)
 飄々として掴みどころのない才谷を見ながら、藤堂は用心せねばとひっそりと思った。

 ◆◇◆◇

 時は刻々と過ぎ、〈ばれんたいん〉当日となった。
 藤堂は昨晩から鈴花へどう告白するかをずっと考え続け、ほとんど眠れないまま夜を明かしてしまった。
 お陰で今は、寝不足で少々身体がだるい。しかし、そんな弱気なことを言ってはいられない。
 とにかく、今日は絶対に鈴花に想いを伝えるのだ。そう自分に言い聞かせながら、藤堂は鈴花を探した。

 鈴花は道場にいた。稽古熱心な彼女は、今日もひとりで掛け声を上げながら木刀を振るっている。
 遠巻きに見ると少しばかり少年のようにも感じるが、よくよく見ると、やはり女らしさが垣間見える。
「鈴花さん!」
 藤堂は意を決して、鈴花に声をかけた。
 鈴花は木刀を振る手を止め、こちらを見た。
「あ、平助君!」
 木刀を握ったまま、鈴花が近付いて来る。
「どうしたの?」
 にっこり微笑みながら訊ねる鈴花に、藤堂の鼓動が速度を増す。
「あ、あのさ……」
 藤堂は、緊張で目を逸らしてしまいたいのを必死で堪え、昨晩からずっと考えていた言葉を告げようとする。
「え、えっと……」
 そんな藤堂を、鈴花は首を傾げながら見つめている。
(言え! 言うんだ俺……!)
 自分に言い聞かせた、まさにその時だった。
「あれ、平助じゃねえか?」
 そこに、招かざる客がやって来た。
「おめえ、こんな所で何してんだ?」
「し、新八さん……!」
 現れたのは、永倉だった。
「それは俺の台詞です! あんたこそ、いったい何しに来たんですか?」
「べ、別に俺は……。桜庭にちっとばかり用があったからよ……」
 ばつが悪そうに言う永倉を見て、藤堂は瞬時に察した。
 間違いない。永倉もまた、鈴花に告白をしに来たのだ。
 多分、藤堂同様、才谷から〈ばれんたいん〉の話を聞き、全く同じことを考えたのであろう。
(よりによって、新八さんまで……)
 藤堂はがっくりと肩を落とす。
 だが、これは鈴花争奪戦の幕開けに過ぎなかった。
「おーい! 桜庭はいるか……、っておいっ!」
 なんと、今度は原田が現れたのである。
「何だよオメェら、都合良く現れやがって!」
 後から来たはずの原田が、藤堂と永倉に無茶苦茶な難癖を付けてくる。
 藤堂は何も言えずに呆然としていたのだが、永倉はそれを、ふんと鼻で笑ってかわした。
「そりゃあ、俺の台詞だっつうの! テメェの方があとからのこのこやって来たんじゃねえか」
「……んだとお!」
 永倉の言葉に原田は歯を剥き出しにして彼を睨み付ける。
 いったいどうなるんだ、と思いながらふたりの成りゆきを見ていた。
「こんなことをしていても埒が明かねえ」
 先に口火を切ったのは永倉だった。
「ちょうどここは道場だ。この際だから、どっちが強いかはっきりさせといた方がいいだろ」
 永倉は手近にあった木刀を二本手に取ると、そのうちの一本を原田に投げ付けた。
 それを原田は、躊躇いもなく受け止める。
「こいつで勝負しようってわけか」
「そういうこった」
 ふたりは目を合わせると、互いに不敵な笑みを浮かべ、道場の中心へと歩いて行く。
「おい、平助!」
 呆然と立ち尽くしていた藤堂に、永倉が呼びかけてきた。
「オメェ、こっち来て審判しろ。そして桜庭」
 永倉は、藤堂と同様にぼんやりとしていた鈴花に言った。
「これは桜庭を賭けた男同士の闘いだ。しかとその目で見ておきな」
「けっ! テメェひとりでかっこつけてんじゃねえよ!」
 原田が咄嗟に口を挟むと、永倉は忌々しげに彼を睨み付けた。
(とんでもないことになってしまった……)
 藤堂はふたりを見比べながら、そんなことを思った。
 藤堂から溜め息が漏れる。
 本来であれば、もっとしっとりとした雰囲気で鈴花に想いを伝えたかったのに、どこから方向がずれてしまったのか。
(やっぱり、一番ややこしくしているのはこのふたりだ……)
 藤堂は、木刀を握ったまま見えない火花を散らしている永倉と原田を睨む。
「平助! とっとと号令を出せ!」
 黙りこくっている藤堂に痺れを切らしたのか、永倉が苛立ちを籠めて言う。
 それに続き、原田も「早くやらせろ!」と急かしてくる。
「何もしないでじーっと立ってる方が、一番疲れるんだからよ!」
「え……。あ、う……」
 渋々ながら応じようとした。
 と、その時であった。
「いい加減にして下さい!」
 今まで黙っていた鈴花が、道場いっぱいに響き渡るほどの怒声を上げた。
 三人の男達は驚き、一斉に鈴花に注目した。
「何なんですかいったい! 私を賭けた闘いですって? 全然意味が分かりません! ここは道場ですし、試合をするのは結構ですが、私闘となっては話が別でしょう! しかも、揃いも揃って良い大人じゃないですか! 平助君も平助君よ! 何でふたりを止めようとしないの?」
 鈴花はキッと三人を睨み付けたかと思うと、今度は哀しげに顔を歪めた。
「――皆さん、酷いです……。私の気持ちなんて、ちっとも考えてないじゃないですか……。私だって……、誰かを選ぶ権利はあるはずなのに……」
 そこまで言うと、鈴花は静かに道場を出て行ってしまった。
 残された三人の男達は、しばし呆然とその場に立ち尽くしていた。
「――なんか、一気に冷めちまったな……」
「ああ……」
 永倉と原田は、木刀を下ろした。
 ふたりの間に戦意は全くない。鈴花の思わぬ剣幕に、さすがに冷静さを取り戻したのだろう。
 藤堂はそれに安心しつつ、出て行ってしまった鈴花のことが気になった。

 藤堂は道場を出て、鈴花の部屋へとやって来た。
 部屋に入ったのを見たわけではないが、あの様子では何となく、そのまま部屋に籠ってしまったのだろうと直感したのだ。
「――鈴花さん?」
 藤堂は遠慮がちに、障子の向こうにいるであろう鈴花を呼ぶ。
 返事はない。しかし、その代わりほどなくして、障子がゆっくりと開かれた。
 その表情は憔悴しているように見えるが、涙の跡はない。泣いているのでは、と思っていたので、藤堂はほっと胸を撫で下ろした。
「ちょっと、いい?」
 藤堂が訊ねると、鈴花は「うん」と頷き、藤堂を部屋に通してくれた。
 ふたりは部屋の中心部に行くと、どちらからともなくその場に正座する。
 道場とは違い、個人の部屋となると雰囲気が全く違う。先ほどの騒動で緊張は解れたはずなのに、再び心臓の鼓動が速度を上げ、全身からは汗がじわじわと噴き出している。
(いや、今度こそちゃんと言わないと……!)
 藤堂は膝の上に載せた手を強く握り、鈴花を見つめた。
「鈴花さん!」
 名前を呼ばれた鈴花は、真っ直ぐに藤堂を見ながら首を傾げる。
 藤堂は小さく深呼吸すると、意を決して言った。
「鈴花さん、俺は、あんたのことが好きなんだ。最初はそんな風にあんたを見たことはなかったけど、そのうち、ずっと俺の側にいて欲しいと考えるようになって……。鈴花さんは俺をどう想っているかは知らない。でも、せめてあんたには、俺の気持ちを知っていてもらいたかったから……」
 そこまで言うと、藤堂は探るように鈴花を見つめる。
 どんな答えが返ってくるのか。藤堂の中では、不安が大きく広がっている。
「――平助君」
 しばらくして、鈴花が口を開いた。
「平助君の気持ち、凄く嬉しいよ。――だって、私も平助君を……」
 鈴花の言葉に、藤堂は目を見開く。
「えっ、それってもしかして……?」
 確認するように訊ねると、鈴花ははっきりと頷いた。
 それを見た瞬間、藤堂の中の不安は一気に消え去った。まさか、鈴花も自分と同じ想いを抱いていたとは嬉しい驚きである。
「ありがとう」
 藤堂は微笑みながら、鈴花の手をそっと取った。
 鈴花は驚いていたものの、それを振り払うことは決してなかった。
「ねえ、鈴花さん」
 手を握ったままで、藤堂は少しばかりわがままを言ってみた。
「さっきの言葉の続き、あるんだろう? 俺、鈴花さんの口からもちゃんと聞いてみたい」
「えっ……」
 鈴花は頬を朱に染めて俯いてしまった。
「やっぱり、ダメ……?」
「だって……、恥ずかしいもん……」
 そう答える鈴花が、藤堂には愛らしく映る。そして、また困らせてやりたいという気持ちも湧く。
「だったら、俺の耳元で言ってみて?」
 藤堂はさり気なく鈴花に近付き、耳を傾ける。
 鈴花は少し躊躇いつつ、それでもそっと囁いてきた。

「私は、平助君が好き……」

【初出:2009年2月13日】
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