新見が切腹した――
その話は、すぐに鈴花の耳にも届いた。
新見といえば筆頭局長である芹沢の片腕。そう易々と切腹などする印象などなかっただけに、彼の死には衝撃を受けた。
(何故、新見さんが……?)
鈴花は怪訝に思いつつ、何度も心の中で問いかける。
もちろん、切腹するだけの理由は充分にあるだろう。新見は芹沢とつるみ、町で数々の狼藉を働いてきたのだから。
しかし、それならば芹沢も責任を取るべきではなかろうか。
(やっぱり、芹沢さんは局長だから……?)
そう思うものの、何か腑に落ちない。
(気になる。けど……)
鈴花は部屋の中で、立ったり座ったりを繰り返す。
だが、こんなことをしていても気分が晴れるわけでもなかった。
「よし!」
鈴花は気合いを入れるつもりで声を出す。そして、静かな足取りである場所へと向かって行った。
着いた場所は、芹沢の部屋だった。
芹沢は中にいるらしい。障子越しに明かりが揺らめいている。
鈴花は声をかけようとする。だが、急に緊張が走り、思うように言葉を発せない。
(芹沢さんに何を訊こうというの、ともうひとりの自分が問い質す。
新見の切腹の真相。そんなことを芹沢が簡単に答えてくれるのだろうか。鈴花に好意的な近藤達でさえ、多くを語ってくれなかったというのに。
(出直そうかしら……)
そう思った、まさにその時だった。突然、部屋の障子が勢いよく開いた。
鈴花は驚き、目を見開いたままその場に固まった。
「ふん。誰かの気配がするかと思ったら、桜庭か」
障子を開けた張本人である芹沢は、鈴花を見るなり、つまらなそうに吐き出す。
「こんな時間に、何の用だ?」
「あ、あの……」
芹沢の迫力に圧倒され、鈴花の身体は震えた。
(ど、どうしたら……)
しばしの間、沈黙が流れる。
芹沢は芹沢で、何も言わない鈴花が何も言わないことに苛立ちを露にしていたが、それでも辛抱強く待ってくれているようだ。
だが――
「おい」
とうとう痺れを切らしたらしい。芹沢が口を開いた。
「どうせだ。桜庭、少し俺の酒に付き合え」
「え、でも、私は……」
「別に飲めとは言わん。ただ、俺の相手をしてくれりゃあいい」
「は、はあ……」
芹沢の真意が掴めずに鈴花は困惑したが、逆らえるはずもない。鈴花は言われるがまま、芹沢の部屋に入った。
中に入ってまず先に目に付いたのは、その辺に無造作に転がっている無数の銚子だった。
ずっとひとりで酒盛りをしていたのだろう。それが、新見の死を悼んでのものかどうかは定かではないが。
「そこに座れ」
促され、鈴花は芹沢の隣に正座をすると、一本の銚子を半ば押し付けるように渡してくる。そして、受け取ったのを確認してから、空の猪口を鈴花の前に差し出した。
(お酌をしろ、ってわけね……)
鈴花は慣れぬ手付きで酒を注ぐ。
芹沢は並々に注がれたそれをぐいと一気に飲み干すと、再び無言で酒の催促をしてくる。
鈴花もまた、黙ってそれに従うのみだった。
このやり取りはしばらく続いた。
「――これから」
芹沢が不意に口を開いた。
「壬生浪士組はどうなってゆくのか……。最初は、この組全てを俺の思い通りに出来る。そう思っていた。しかし今じゃあ、近藤や土方達の権力が俺よりも勝りつつある……」
芹沢はそこまで言うと、ぼんやりと明かりを眺めた。
何を考えているのかは分からない。そして何より、何故、一介の隊士でしかない鈴花にこんな話をしてきたのか。
「――桜庭」
芹沢が鈴花の名を呼んだ。
鈴花は黙って居住まいを正す。
「お前は確か、剣で身を立てたいという理由で浪士組に入隊したのだったな?」
「え? ええ……」
突然、何を言い出すつもりか。鈴花は芹沢の真意が読めず、ただ、大きな瞳を何度も瞬かせた。
また、しばしの間、沈黙が続く。
だが、堰を切るように芹沢が予想外のことを口にした。
「悪い事は言わん。お前は浪士組を除隊しろ。ここは、お前が思っているような場所じゃない。今ならばまだ引き返せる。とっとと会津へ帰り、女としての幸せを手に入れろ」
芹沢の言葉に、鈴花は息を飲む。
しかし――
「――お言葉を返すようですが……」
今まで黙っていた鈴花が、初めて芹沢に意見を述べた。
「私は、隊を抜ける気はさらさらございません。ましてや、会津にはもう帰る場所すらないのですから……。もちろん、女である私が力不足であることは重々承知しています。ですが……、私は女だからという理由で逃げたくなどないのです。これも全て、私を取り立てて下さった照姫様のため。今、隊を抜けるということは、照姫様を裏切る行為になるのですから」
そこまで言うと、芹沢が真っ直ぐに鈴花に視線を注いできた。酔っているからなのか、それとも、何か他に理由があるのか、その瞳はどことなく哀しみに満ち溢れているように感じた。
(この人は、本当は淋しい人なのかもしれない……)
そう思うより先に、鈴花は自然と芹沢を包み込んでいた。芹沢相手にずいぶんと大胆な行動に出てしまったと自分自身でも驚いていたが、縋るような瞳をしている彼を見ていたら、抱き締めずにはいられなかった。
芹沢は、それを振り払おうとしなかった。それどころか、今度は逆に鈴花を抱き返してきた。まるで、愛おしい恋人を慈しむように、何度も鈴花の髪を撫でる。
「――鈴花……」
芹沢が耳元で囁いた。
「俺は、数日後に死ぬだろう。もちろん、それなりの抵抗はさせてもらうがな。だが、お前は絶対に死ぬな。どんな事をしてでも生き延びろ。それが……、俺からのただひとつの願いだ……」
「芹沢さ……」
「何も言うな」
鈴花が紡ごうとした言葉を遮るように、芹沢は彼女の身体を強く抱き締めた。
◆◇◆◇
それから数日後、筆頭局長・芹沢鴨は同じ浪士組の者達によって粛清された。
鈴花もその経緯は知っている。だが、表面上は長州の間者に暗殺されたということになっていたので、よけいなことはいっさい口にしなかった。
(――芹沢さん……)
芹沢の亡骸を見送りながら、鈴花は強く思った。
(私は決して、無駄死にはしません。精いっぱい戦い、これから先も、精いっぱい生き抜いて見せます)
【初出:2008年7月18日】