ずっと待ってる

斎藤一×桜庭鈴花+沖田総司


 新政府軍の勢力が強まり、幕府は日に日に窮地に追い込まれていた。
 如何に剣に長け、腕が立つものであったとしても、新型の銃や大砲の前では打つ手がなく、何もしないまま撤退を余儀なくされてしまう。
 新選組の猛者達もまた、新政府軍の新型兵器には目を瞠った。
 完全に衰退したわけではないにしろ、もう、刀の時代は幕を降ろしつつあるのだ。
(それにしても、いつになったら本当の平和が訪れるのかしら……)
 粥と薬を載せた盆を手に持ちながら、鈴花は月明かりを頼りに暗い廊下を歩いている。
 鈴花は新選組の先駆けとなった壬生浪士組の頃から、唯一の女性隊士として剣を振るってきた。
 その長い歳月の中で、鈴花は幾度となく人の生き死にも目の当たりにし、そのたびに、どれほど涙を流してきたか知れない。
 そして今は、労咳で余命幾ばくもない沖田総司の世話を任され、戦線から離脱した。
 当然ながら、鈴花は元気だった沖田の姿を知っている。目を爛々と輝かせながら木刀を振り、巡察となると我先にと言わんばかりに駆け出して行っていた沖田。
 それが今は、起きることすら間々ならなくなっている。
「沖田さん」
 沖田の部屋の前まで来た鈴花は、障子の前で沖田に声をかける。
「桜庭です。入りますね」
 返答はなかったが、鈴花は床に膝を下ろし、盆を一旦横において障子を開けた。
 部屋には行灯が頼りなく揺れ、青白くなっている沖田の顔を哀しいほどに照らし出している。
「――やあ、桜庭さん……」
 沖田は床に就いたまま、首だけを動かしてこちらを見る。
 鈴花は盆を再び手にすると、部屋に入り、沖田の前まで歩み寄って正座した。
「お粥とお薬をお持ちしました」
「ああ……、ありがとうございます……」
 沖田は力なく微笑むと、鈴花に背を支えられながら身体を起こす。
「ひとりで食べられますか?」
 粥の入った茶碗を差し出しながら問うと、沖田は「平気ですよ」と苦笑した。
「僕は子供じゃないんですから……。桜庭さん、あなたは心配し過ぎです……」
 沖田は茶碗を受け取り、匙を手に取ると粥を口に運んだ。
 食べ方はゆったりとしている。じっくり味わっているようにも見えるが、実は食べる体力もなくなりつつあるのかもしれない。それを想うと胸が塞がる。

 長い時をかけ、沖田はやっとの事で粥を平らげた。食後の薬も飲み終えたので、休ませてあげようかと思ったその時、障子越しに人影が見えた。
(こんな時間に誰が……?)
 訝しく思っていたら、障子の向こうから「沖田」と低い声が聴こえてきた。その声は、沖田も鈴花もよく知っている。
「――斎藤さん……、ですね……?」
 横になった沖田が口にした。
「ええ」
 鈴花は頷くと、一度立ち上がり、障子を静かに開けた。
 そこにいたのは、紛れもなく斎藤一だった。
「――遅くにすまない」
 鈴花の顔を見るなり、斎藤は真っ先に謝罪を述べる。
「斎藤さん、どうしたんですか? 明日は甲府に行くのに……。遅くまで起きていたら、いくら斎藤さんでも身体に障りますよ?」
 斎藤に対し、つい、説教じみたことを言ってしまった。
「いや、確かにそうなのだが……」
 斎藤は気まずそうに視線を逸らしている。何か用事があったのは確かであろうが、鈴花からのまさかの説教に少々面食らっているようだった。
「ふふ……」
 ふと、遠巻きにふたりを見ていた沖田が小さく笑い声を上げた。
「桜庭さん、斎藤さんにそんな事を言っては可哀想ですよ……。斎藤さん、あなたは桜庭さんに逢いに来たのでしょう……?」
 沖田の言葉に、斎藤は「あ、ああ……」と頷く。
「桜庭が、ここへ来るのを見ていたからな。本当は、沖田の部屋から帰って来るまで待っていようかと思ったんだが……」
 ぼそぼそと語る斎藤に、鈴花は首を傾げる。
 そんな鈴花に、沖田は「桜庭さん」と声をかけた。
「僕はもう休みますから、斎藤さんとじっくり話したらいかがですか? 斎藤さんも、わざわざ僕の部屋を訪れてまで桜庭さんに逢いに来たのですから、今夜、どうしても話しておきたいことがあったんでしょう」
 沖田はそう言うと、にっこりと笑んだ。
 確かに沖田の言う通りかもしれない。何の用かは分からないが、それでもわざわざ斎藤がここまで来たのにはちゃんと訳があってのことだろう。そして何より、沖田を休ませるのも大切だ。
「分かりました」
 鈴花は空になった茶碗の載った盆を持ち、立ち上がった。
「それじゃあ、私はお暇しますね。沖田さん、ゆっくりとお休みになって下さい」
「ええ、そうさせてもらいます」

 沖田の部屋を出た斎藤と鈴花は、並んで廊下を歩いている。
 ふたりの間に会話はない。ただ、歩くたびに軋む床の音だけがやけに耳朶に響いている。
(斎藤さん、本当に私に用事なんてあったのかしら……?)
 一向に口を開こうとしない斎藤に、鈴花は怪訝に思う。
「――斎藤さん」
 沈黙に堪えられなくなり、鈴花が斎藤に訊ねた。
「私に、どんな用があったんですか?」
 斎藤の表情は一見すると変わっていないが、わずかに身体が反応したのを鈴花は決して見逃さなかった。
「――桜庭」
 やがて、諦めたように斎藤が口を開いた。
「そこに座れ」
 斎藤はぴたりと立ち止まり、縁側を指差した。
 鈴花は言われるがまま、その場に座る。
 斎藤はそれを見届けてから、自らも鈴花の隣に腰を下ろした。
「俺は明日、甲陽鎮撫隊として甲府へ向かう」
 座るなり、斎藤は口にした。
「お前も分かっているとは思うが、新政府軍相手に、勝ち戦は決して望めない。だが、俺は会津公へ恩を報いるためにも戦う。――江戸へ戻ることも、しばらくはないだろう」
「――そうですか……」
 覚悟はしていた。だが、心のどこかで何かが痞えている。
(もしかしたら……、斎藤さんは……)
 斎藤に限って有り得ない。
 そう思おうとしても、一度心の中に広がってしまった不安は拭いきれない。
(もう、誰かが死ぬのはたくさん……)
 気が付くと、鈴花から一筋の涙が零れ落ちた。それは滾々と湧き出る泉のように止まることを知らず、抑えようにも抑えられない。
 そんな鈴花を、斎藤は何も言わず、そっと自分の元へと引き寄せる。直に伝わる斎藤の温もりと匂いが、よけいに鈴花の胸を強く締め付け、切なさがどっと溢れ出た。
「鈴花」
 鈴花を抱き締めたまま、斎藤が耳元で囁く。
「俺は、お前を愛している。だから、お前を残して死んだりしない。鈴花も、俺を信じて待っていてくれないか? 全てが終わったら、必ず、お前を迎えに来るから……」
 優しくも力強い斎藤の言葉は、鈴花の胸に沁みてゆく。
 怖くないと言えば嘘になる。しかし、斎藤は決して偽りを口にするようないい加減な男ではないことも、鈴花は充分に承知していた。
「――斎藤さん」
 斎藤の腕に包まれながら、鈴花はゆったりと言葉を紡いだ。
「私はここで、斎藤さんの帰りを待っています。どんなに歳月を重ねようとも、ずっと……、斎藤さんだけを想い続けていますから……」
「そうか……」
 斎藤は短く答えると、先ほどよりもさらに強く、鈴花を抱き締めた。
 斎藤の胸の中に包まれている鈴花には彼の表情は覗えなかったが、心なしか、時々見せる優しい微笑みを浮かべているように感じた。


【初出:2009年2月13日】
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