あなたの瞳に

斎藤一×桜庭鈴花


(どこにいるんだろう……?)
 鈴花はある人物を探し、屯所内をあちこち歩き回っていた。部屋、道場、庭と、思い当たる所は全て行ったのにそれでも見付からない。
(まさか、出かけてしまったってことはないわよね……?)
 彼に限ってそれはないと、考えを改める。
 あの人は絶対、約束を違えるような人じゃない。無口であまり感情が表に出ないから彼の人となりをよく知らない人からは怖れているみたいだが、実際は違う。
 誰よりも優しくて繊細。そして、情に厚い。
(――でも……)
 分かってはいても不安が過ぎる。もしかしたら、他の女性と逢っているのではないかと。だが、彼から改めて想いを告げられたわけではないから、それを責めることは出来ない。
「もう、諦めようかな……」
 そう呟いた時、ふとある場所に視線が行った。
 屯所内には不釣り合いな一本の桜の木。そこからわずかだが、人影らしきものが見えた。
(あれは!)
 鈴花はゆっくりとそれに近付く。
(やっぱり……)
 そこにいたのは、ずっと探していた人物――斎藤一だった。斎藤は木に寄りかかるような姿勢で寝入っていた。
「珍しい……」
 鈴花は囁くような声で呟いた。
 鈴花も新選組に入隊してだいぶ経つが、斎藤の無防備な姿を見るのは初めてのことだった。
 どこか少年のようなあどけなさが残る寝顔。それを見ていたら、鈴花は心が温かくなるような気持ちになった。口許も自然と綻んでしまう。
(斎藤さんでも疲れることがあるのね)
 そんなことを思いながら、鈴花は斎藤の髪に手を伸ばす。
 癖のない真っ直ぐな黒髪。髪で隠された左の瞳はどんな輝きを持っているのか――
 ずっと気になっていたそれを見ようとして、鈴花が髪を掻き分けようとした時だった。
 気配を感じたのか、斎藤が目を覚ました。
 鈴花の手は宙に浮いたまま止まってしまった。
 斎藤と視線がぶつかる。
「ご、ごめんなさいっ! 起こすつもりはなかったんです!」
 鈴花は慌てて手を引っ込め、何度も頭を下げる。
「――いや」
 怒られるかと思ったが、斎藤の口から出た言葉は意外なものだった。
「俺こそ、少し休むつもりがすっかり熟睡してしまったらしい。――すまない。今日は桜庭に付き合う約束をしていたのに……」
 逆に謝られてしまった。
(無理をお願いしたのは私なのに……)
 鈴花は罪悪感でいっぱいになった。ほんの少しでも斎藤を疑ってしまったことに。
「斎藤さんは全然悪くありません」
 鈴花は言った。
「このところずっと、あまりお休みがなかったでしょう? それなのに、私が斎藤さんの優しさに甘えてしまっていたんですから。謝るのは私の方です」
「――桜庭……」
 斎藤はふっと笑った。
 他人から見たらあまり表情が変わってなさそうに見えるが、鈴花には斎藤のわずかな表情の変化も敏感に察知出来る。見えている右目は優しい光を放っている。
「斎藤さん」
 鈴花は斎藤を真っ直ぐに見つめた。
「あの、その髪、触ってもいいですか……? 斎藤さんの瞳を、ちゃんと見てみたいんです」
「――ああ」
 斎藤は短く答えた。
 鈴花は背伸びをし、長い前髪を掻き分けた。
(――ああ、やっぱり……)
 思った通りだった。
 曇りのない澄んだ瞳。今は鈴花だけを見つめてくれている。
「桜庭」
 斎藤は鈴花の手をそっと取る。
 自分より大きな手に包まれ、鈴花は鼓動が早くなるのを感じた。
 斎藤は低く穏やかな口調で続けた。
「俺はどんなことがあってもお前の手を離したりはしない。だから、ずっと俺の側にいてほしい」
(えっ! それって……)
 鈴花にも分かった。
 それは斎藤の真摯な想い。彼は冗談など言う人ではないのだから。
「――私も」
 鈴花は満面の笑みを浮かべながら答えた。
「ずっと、斎藤さんの側にいますから。あなたの瞳には私しか映らないように……」

【初出:2007年4月3日】
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