生と死と

斎藤一×桜庭鈴花


 人を斬るとはどういうことなのか、と斎藤は時々考える。
 気が付けば剣を手にし、ただ、向かってくる敵を斬り倒す。
 その度に感じる、命の重み。残されてしまった家族、そして恋人の哀しみを想うと、胸が押し潰されそうになる。
 そして、今の斎藤の中に残っているのは、つい先日斬り捨てた武田観柳斎。
 新選組を裏切った彼に残された道は〈死〉のみ。
 本音を言えば助けたかった。知らぬ振りをして、武田を逃がしてやりたかった。それが叶わなかったのは、あの場に大石がいたからだった。

「君の剣で殺してくれ!」

 今でも耳朶に残っている悲痛な武田の叫び。
 大石に斬られるぐらいならば、と斎藤に縋ってきた彼。
 拒絶する術は、なかった。
 武田は目を閉じ、ただ、斬られるのを待っていた。
 斎藤は覚悟を決め、刀を抜いた。自分の中の迷いを消し去るように剣を振り下ろした。
 肉の切れる不快な感触は、生々しいままに手に残っている。

「ありがとう……」

 最期の武田は満足げに微笑みを浮かべていた。これでもう何の悔いはない、と言わんばかりに。
 血に染まる武田の身体を眺めながら、斎藤は改めて命の儚さを感じた――

 ◆◇◆◇

 武田の粛清後も、日常は当たり前に過ぎてゆく。
(こんなに苦しんでる俺がおかしいのか……?)
 薄暗い部屋の中で自らの手を眺めながら、斎藤は思った。
 正直なところ、彼にはあまり好印象はなかったものの、それでも斬り捨てた後は、胸が酷く痛んだ。
 非があったのは武田。頭では分かっていても、心の中は罪悪感に支配されている。
(俺はいったい、どうしたらいい……?)
 心の中で自分に問う。
 と、その時だった。
「斎藤さん、いますか?」
 障子越しに、遠慮がちな女の声が聴こえてきた。
 誰の声なのかは考えるまでもない。この新選組の屯所には、女はひとりしかいない。
「――桜庭か?」
 分かっていながら改めて確認する。
「はい」
 声の主――桜庭鈴花は続けた。
「あの、入ってもいいですか……?」
「ああ、構わない」
 斎藤が答えると、鈴花は「失礼します」と障子を静かに開け、しずしずと部屋に入ってくる。
 男のような身なりをしていても、やはり女だ。所作のひとつひとつが美しい。
「斎藤さん」
 斎藤の前に正座した鈴花は、真っ直ぐに彼を見つめてきた。
「あの、大丈夫ですか……?」
「ん、何がだ?」
 彼女の言わんとしていることが理解出来ず、斎藤は怪訝に思いながら首を傾げた。
「ですから、その、最近あまり元気がないような気がして……。島田さんも心配していましたよ? ――武田さんのこと、気に病んでいるんじゃないか、って……」
 鈴花の言葉に、斎藤は思わず目を瞠る。
 感情を表に出しているつもりはなかった。しかし、島田はともかく、鈴花にまで見透かされていたのには驚いてしまった。
 そんな斎藤を見て、彼女はわずかに哀しげな笑みを浮かべた。
「私は、斎藤さんをずっと見てましたから……。本当は苦しいだろうに、見ている私が辛くなるほど必死で平然を装って……。斎藤さんは優しいから、武田さんに手を下したことを悔いてるんでしょう?」
 そこまで言うと、鈴花はそっと彼の両手を包み込む。
 伝わってくる鈴花の温もりに、凍り付いた心が少しずつ溶かされてゆくようだ。
 その時、斎藤の瞳から冷たいものが零れ落ちた。
(俺が、泣いてる……?)
 自分でも驚いていた。
 人前で涙を流すなど、男としてはあってはならない。だが、止めようにも制御が利かない。
「……っ……くっ……」
 次第に嗚咽が漏れ始めた。これが武田を偲んでの涙なのか、それとも別な意味があるのか、自分でも分からなかった。
 そんな彼を、鈴花は優しく包み込む。まるで、小さな子供をあやす母親のように。
「大丈夫ですから。私が、ずっと側にいますから……」
 鈴花の言葉に、斎藤は救われたような気持ちになった。
 鈴花の胸に顔を埋めながら、斎藤は止まらぬ涙を流し続けた。

 どれほど時間が経過したのだろうか。
 斎藤ははっと目を覚ました。
(いつの間に寝ていたんだ……?)
 彼は身を起こし、辺りを見回した。いつも見慣れている自室だが、違っているものがひとつあった。
 斎藤の隣に寄り添うように、鈴花が眠っている。
「なんて奴だ……」
 無防備過ぎる姿に、心底呆れた。
「これでは、襲ってくれ、と言っているようなものだろうが……」
 口ではそう言いつつ、鈴花が側にいたことが嬉しくて堪らなかった。
「全く……」
 斎藤は微苦笑を浮かべながら、布団を敷き始めた。そして、鈴花を起こさぬように抱き上げると、その上へそっと寝かし付けた。
 と、その時だった。
「斎藤、さん……」
 鈴花が自分を呼んだ。
 起こしてしまったかと思ったが、違った。寝言を言っただけで、全く目を覚ます気配がない。
(夢の中でまで、俺を気にかけてくれているのか……)
 そう思うと、愛しさが込み上げる。
 斎藤はふっと笑い、鈴花に顔を近付けた。そして、ゆっくりと鈴花の唇に斎藤のそれを重ね合わせた。

【初出:2008年4月16日】
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