長月夜

斎藤一×桜庭鈴花


 秋が近付き、陽の落ちる時間が早くなった。時おり吹き抜けてゆく風も冷たく、鈴花は自らの身体を両腕で抱き締める。
(毎日が過ぎるのは、あっという間だな……)
 庭に佇みながら、鈴花は空を仰いだ。
 まだ、完全に夜にはなりきっていない。空は仄かに青白く、その中にうっすらと満月が浮かんでいる。
(そういえば、今日は十五夜だったっけ)
 月を見上げながら、鈴花は不意に想い出した。
 新選組の名が京の町に広がっている今日こんにち、彼らにはのんびりと出来る時間が限られている。
 鈴花もまた同じだった。女とはいえ、れっきとした新選組隊士。休む間もほとんどなく、不逞浪士達を追い駆ける。
 時には血生臭い争いに巻き込まれ、彼女もまた、躊躇することなく剣を抜く。
 人を斬ることに対し、心が痛まないわけではない。しかし、相手を斬らねば自分の方が命の危機に晒される。武士の世界とは、そういうものだ。
「桜庭」
 ぼんやりとしていたら、後ろから声をかけられた。
 鈴花は首を下げ、ゆっくりと振り返る。
 彼女を呼んだのは、左目を艶めく漆黒の髪で隠している青年――斎藤だった。
「どうした? 疲れてるようだが?」
 彼はそう言いながら、鈴花の隣に並んで立った。
「疲れてるように見えますか、私?」
「ああ。何となく憂鬱そうに空を眺めてたからな」
「そうですか?」
 疲れているとは意識したことがなかった。だが、意識していなかっただけで、本当は毎日の激務に嫌気が差していたのかもしれない。
 本人も気付いていなかったことを斎藤に指摘され、鈴花の中に羞恥心が生まれる。
「無理もない」
 斎藤は囁くように言うと、彼女の肩にそっと手を添えた。
「お前は女だ。だからこそ、女だからと侮られぬよう俺達男以上に頑張ってしまう。違うか?」
 鈴花は、斎藤の言う通りかもしれないと思いながら無言で頷く。
 所詮は女なのだから、と思われるのが嫌で今まで必死だった。最近では鈴花に対する偏見はなくなってきたものの、入隊当初は誰もが彼女を持て余していたことがありありと伝わってきた。
「私は、これからもずっと新選組隊士です」
 鈴花は真っ直ぐな瞳で斎藤を見つめる。
 そんな彼女の視線をまともに受けた斎藤は、困ったように微苦笑を浮かべた。
「何でも頑張るところはお前のいいところだが、逆に欠点でもある。たまには息抜きしないとそのうち倒れてしまうぞ?」
「――はい。すみません……」
「別に謝る必要はないが……。そうだ桜庭、お前確か、今夜は非番だったな?」
「えっ? ええ……」
 唐突に斎藤に訊ねられ、鈴花は首を傾げる。
 と、突然、斎藤が彼女の手を取った。
 驚きのあまり、鈴花は瞠目したまま言葉を失ってしまった。
 だが、斎藤は全く意に介した様子もなく飄々と構えている。
「少し、歩こう」
 斎藤は鈴花の手を握ったままその場を離れ、屯所を出ていた。

 歩いているうちに、昼と夜の境目がなくなり、辺りは暗闇に包まれていた。民家には明かりが灯り、夜空には金色の満月が煌々と輝いている。
(綺麗……)
 斎藤に手を引かれながら、鈴花は思わずそれに魅入ってしまった。
「よそ見してると躓くぞ?」
 斎藤の声に、はっと我に返る。
「あの、斎藤さん」
「どうした?」
 鈴花は、屯所を出てから疑問に思っていたことを訊ねた。
「ずっと歩きっぱなしですけど……。いったいどこへ向かってるんですか?」
「行けば分かる」
 斎藤は足を止めることなく短く答えた。
(行けば分かる、って言われても……)
 鈴花はなおも問い質したい気持ちだったが、あまりしつこく迫って機嫌を損なわれても困ると思い直し、黙って斎藤の手に引かれながら歩いた。
 斎藤の考えていることは分かりづらい。元々、感情を表に出さないせいもあるのだろうが。

「着いたぞ」
 斎藤が足を止めた。
 そこにあったのは、鈴花の背丈よりも幾分か低めのすすきの群れ。秋のほんのりと冷たい風に吹かれ、さわさわと音を立てながら揺れている。
「何故、ここへ……?」
 鈴花が訊くと、斎藤は「今日は十五夜だろう」と答えた。
「いえ、それは分かってますけど……」
「なら、何を訊きたいんだ?」
「ですから、どうして私をここへ連れて来たのかが訊きたかったんです」
「それは芒を摘むのを手伝ってもらおうと思ったからだ」
 斎藤の言葉に、鈴花は口をぽかんと開けてしまった。
(芒を摘むためだけに私をわざわざ連れ出したってこと……?)
 突然手を握られ、屯所を出て来た鈴花。驚いていた半面で、心の隅では甘い期待をしていないわけでもなかった。
 何となく、裏切られてしまったような気分だった。
「どうした?」
 鈴花の想いを知ってか知らずか、斎藤は怪訝そうに彼女を見つめる。
「い、いえ。何でもありません……」
 鈴花は斎藤を恨めしく思いながら、それでも何も言わず、彼と並んで芒を摘む作業に没頭した。

 芒をあらかた摘み終え、斎藤はそれを左腕で抱えるようにして持った。
「あ、私も持ちます」
 鈴花はそう言って手を出そうとしたが、「構わない」とあっさり断られてしまった。
(私はいったい、何のためにここにいるの……?)
 ただ都合良く利用されてしまったような気がして、鈴花はしゅんと俯く。
 斎藤は屯所を出た時と同じように、彼女の手をそっと取る。
 ふたりの間に沈黙が流れた。歩くたびに擦れる砂利の音と、草陰から聴こえる虫の鳴き声がいっそう耳に響く。
「――すまなかったな」
 ふと、斎藤がぽつりと呟いた。
「桜庭を元気付けるつもりが、かえって落ち込ませてしまったようだ」
(私を元気付ける、ため……?)
 鈴花は目を瞠った。
「ほんとは、俺がお前とふたりきりの時間が作りたかったからというのもあった。屯所の中にいてはそれもなかなか叶わないからな。結局、俺のわがままに付き合わせてしまっただけみたいだが……」
「――そんなことは、ないです……」
 斎藤の言葉に対し、鈴花はごく自然に口が動いた。
「斎藤さんの気持ち、嬉しいです。確かに、芒を摘むのが目的だったのには驚いてしまいましたけど……。
 私も、斎藤さんといられる時間は大切だと思ってますよ。こうして月明かりの下を一緒に歩くだけでも、私はとても幸せですから」
「そうか」
 よほど嬉しかったのだろうか。斎藤はふっと口許に笑みを浮かべた。髪で隠されていない右の瞳も、心なしか優しい光を帯びているように感じる。
 どちらからともなく繋ぎ合った手に力が入る。強く握られた手から、斎藤の温もりが鈴花の中に流れ込んでくるように伝わる。
「ねえ、斎藤さん」
 鈴花はにっこりと微笑みながら、斎藤を見上げた。
「帰ったら早速お月見しましょうね。実は私、部屋にお団子を用意してるんです」
「団子か……」
 斎藤はくつくつと忍び笑いを漏らした。
「――何がおかしいんですか?」
「いや、何だかお前らしいと思ってな」
 なおも笑い続ける斎藤を、鈴花は頬を膨らませながら睨んだ。
「どうせ私は、色気より食い気ですよ!」
「そんなに怒るな。俺もどうせ、帰ったら存分に飲むつもりでいたからな」
「なんだ……。それじゃあ斎藤さんも私と大差ないじゃないですか」
「そうだな」
 そんな会話を交わしながら、ふたりはのんびりとした足取りで屯所へ向かっていた。

【初出:2008年10月20日】
Page Top