明日になれば

沖田総司×桜庭鈴花


 京にも本格的な冬が到来した。夜が更けてから雪が降り出し、ゆっくりと辺りを白く染め上げてゆく。
 沖田は縁側に座りながら、それを眺めていた。
 しんしんと空から舞い落ちる雪。このまま止むことがなければ、明日には銀色の世界が広がっているだろうか。
 それを想像しただけで、心が弾むようだ。
「沖田さん」
 背中越しに、柔らかな少女の声が聴こえてきた。
 沖田は座ったまま、首だけをわずかに上げ、声の主を確認する。
「どこにいるかと思ったら……。駄目じゃないですか、ちゃんと温かくしていないと」
 少女――桜庭鈴花は沖田を見下ろし、眉を顰めながら嗜めてくる。
 沖田は苦笑を浮かべ、「すみません」と謝罪を述べる。
「雪が降ったと耳にしてしまったら、どうしても見たくなったんです」
 沖田の言葉に、鈴花は小さな溜め息を漏らした。
「もう……。お願いですから、あまり心配をかけないで下さいね?」
 鈴花はそう言いながらも、無理矢理部屋に連れ戻そうとはせず、そのまま沖田の隣に正座した。
 静かに流れる時間。そんな中で、雪は止めどなく降り続く。
「――懐かしい……」
 ふと、鈴花が呟いた。
 沖田は怪訝に思いながら、「何がですか?」と訊ねる。
「いえ、ちょっと会津が懐かしく想えたので。今頃はこんな風に、辺り一面が雪に覆われているんだろうなあって……」
「ああ」
 沖田は頷きながら、鈴花が会津出身であることを想い出した。
「会津の冬は、厳しそうですよね」
「ええ、寒いのを通り越して、痛さを感じることもありますから。それを考えると、京は本当に気候が良いと思います。確かに、寒いのには変わりありませんが……」
 鈴花はそう言うと、雪が降りてくる夜空を見上げた。
 彼女の瞳には、何が映っているのだろうか。一瞬、生まれ育った会津を懐かしんでいるのかとも思ったが、多分、違うであろう。
 会津には、もう、鈴花の帰る場所などない。
 鈴花は前に、そんなことを言いながら哀し気な笑みを見せたことがあった。今、自分がいるべき場所は新選組だけなのだ、と。
「桜庭さん」
 空を見つめ続ける鈴花に、沖田は訊ねた。
「あなたは今、幸せですか?」
 鈴花がはっとしたように、頭を下ろした。大きな瞳を一杯に開きながら、沖田を見つめる。
 交錯し合う互いの視線。
 しばらくして、鈴花の方から目を逸らした。
「――幸せですよ……」
 囁くように、鈴花が言った。
「私は、新選組の皆さんと出逢えたことを心から感謝しているんです。女である私のことも、他の隊士と分け隔てなく接してくれて。もちろん、辛いこともありました。でも、その分だけ喜びもたくさんありました。それに、照姫様に紹介していただかなければ……」
 鈴花はそこまで言うと、再び沖田を見上げた。心なしか、その瞳は揺れている。
 見つめるうちに沖田の胸は熱くなり、気が付くと、鈴花を自らの中に包み込んでいた。
「お、沖田さん……?」
 腕の中で、鈴花が戸惑ったように沖田の名を口にする。
「あの、誰かが見たら……」
「別に構いやしませんよ」
 鈴花とは対照的に、沖田はきっぱりと言った。
「むしろ、僕は他の人に見せ付けてやりたいくらいです。誰にも、あなたを渡したくないから……」
 言ってしまってから、さすがの沖田も少しばかり照れた。勢いとはいえ、凄いことを口走ってしまった。
 少しずつ、身体中が熱くなるのを感じた。
「沖田さん、大丈夫ですか……? また、熱が出たんじゃないですか?」
 腕に包まれている鈴花が心配そうに沖田を見つめたかと思うと、そっと手を伸ばし、額に手を添えてきた。ひんやりとした感触が直に伝わり、心地良さを感じる。
「大丈夫ですよ」
 沖田は微笑を浮かべると、今度はその手を握り返した。
 絶対に離すものか、と願うように想い、さらに身体を強く抱き締める。
 ふと、鈴花の腕がするすると伸びてきた。躊躇いがちに、しかし、しっかりと沖田の背中に手を回している。
「桜庭さん」
 柔らかな鈴花の髪を優しく撫でながら、沖田が言った。
「明日、雪が積もったら一緒に遊びましょうか?」
「な、何を……」
 鈴花は顔を上げると、呆れたように沖田を軽く睨んだ。
「沖田さん、お気持ちは分かりますが、雪遊びは駄目です」
「――何故ですか?」
「何故、って……。そんなの、考えるまでもないでしょう?」
 まるで母親のように説教をする鈴花。甘い空気がいっぺんに消え去り、沖田は苦笑した。
 鈴花が心配してくれているのは痛いほど分かるが、部屋の中で寝てばかりいては、かえって病が悪化する。そんな気がしたからこそ、こうして縁側へと出て来たのである。しかし、もっと間近で雪を見、戯れたい気持ちはさらに大きい。
「駄目、ですか……?」
 縋る気持ちで鈴花を見つめる沖田。
「――そんな目で見ないで下さい」
 鈴花は困惑している。
 しばらく思案に耽っていたようであったが、やがて諦めたように、溜め息をひとつ吐いた。
「――分かりました。ただし、長い時間は絶対に駄目ですよ? 約束、守れますか?」
「もちろんです!」
 鈴花の言葉に、沖田の顔に満面の笑みが浮かび上がる。
 明日が来ることに、沖田はひっそりと怯えていた。しかし、楽しみが待っている今は違う。
 明日になったら、存分に雪と戯れよう。子供達も交えて、大きな雪だるまを作ったり、雪合戦をするのも楽しそうだ。
 あれこれ考えていたら、鈴花が「さてと」と沖田を促した。
「今日はもうお休みしましょう。明日、体調を崩してしまったりしたら、せっかくの楽しみも台無しですよ?」
「ええ、そうですね」
 沖田は素直に頷くと、どちらからともなく身体を離した。そして、ふたりはゆっくりと立ち上がると、並んでその場を離れて行った。

【初出:2008年12月2日】
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