屯所内がやけに騒がしい。
床に伏していた沖田だったが、それで目を覚ました。
「沖田さん、失礼します」
ふと、襖の向こうから透き通るような女性の声が聴こえてきた。
静かにゆっくりと開かれ、声の主が姿を現す。
「お加減はいかがですか?」
声の主――鈴花は中に入ると、柔らかな口調で訊ねる。
「ええ、大丈夫ですよ。それより」
沖田は鈴花が座るのを確認して、口を開いた。
「ずいぶんと周りが賑やかですが……。何かあったんですか?」
「――え……」
鈴花の表情が一気に曇ったことで、緊急事態が起こったことはすぐに察知出来た。
「やはり、あったんですね?」
重ねて鈴花に問い質す。
有無を言わせるつもりなどない強い口調に、鈴花は諦めたように小さく溜め息を吐いた。
「――実は……」
だが、やはりためらいがあるのだろうか。その先をなかなか話そうとしてくれない。
病床に就いている沖田によけいな心配などさせたくないという気遣いが、彼にもよく伝わってきた。
「桜庭さん」
沖田は身体を起こす。
「沖田さん、起きちゃダメです!」
鈴花が慌てて制するも、沖田はそれをやんわりと振り払い、続けた。
「桜庭さん、こんな状態であろうとも僕は新選組幹部。今、何が起こっているのか知る義務があります。さ、話して下さいませんか?」
ふたりの間に、しばらく沈黙が流れたが――
「――分かりました」
やっと、鈴花が重い口を開いた。
「沖田さん、どうか落ち着いて聞いて下さいね? 実は……、たった今、伊東さんと平助君が……、亡くなりました……」
沖田の中に、衝撃が走る。
(伊東さんと……、平助が……?)
だが、それを悟られまいと、彼は無表情を貫いた。
「それで、彼らに手を下したのは、どこのどなたです?」
「それは……、大石さんです……」
「大石さんが、ですか……?」
「はい。どうやら大石さんには伝令が間に合わなかったそうなんです。伊東さんとの話し合いは、上手く纏まったというのに……。そして、その場に駆け着けた平助君までもが……」
鈴花はそこまで言うと、唇を強く噛み締めていた。瞳は潤み、今にも泣き出しそうである。それでも涙を堪えているのは、沖田に対してよけいな心配などかけたくないという心の表れか。
大石――
その名を思い浮かべただけで虫唾が走る。人を斬り刻むことに生き甲斐を感じ、常に血生臭さをあちこちに撒き散らしている男。
むろん、沖田も斬り合いは好きだが、大石ほど性根は腐っていないと思っている。
「沖田さん……?」
気が付くと、心配そうに沖田を覗き込む鈴花の顔がすぐ目の前にあった。
「どうしましたか? ――凄く、怖い顔をしてましたから……」
「あ、いえ。何でもありませんよ」
沖田は慌てて笑顔を取り繕う。
だが、鈴花はなおも表情を歪めている。
「やはり……、お話しするべきではなかったですね……」
そう言うと、鈴花は俯いてしまった。どうやら、沖田の心の内を見抜かれたようだ。
「――すみません」
沖田は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
鈴花は辛い想いを必死で心に押し留めようとしているのに、自分はそれが出来ない。毎日寝込んでいるだけでも充分心配をかけさせているというのに、またさらに心配事を増やしてしまった。
鈴花はきっと危惧している。いつか、彼が大石と衝突するのではないかと。むろん、こんなに弱りきった身体では大石にとっては相手にもならないであろうが。
「桜庭さん」
沖田は、鈴花の頬に優しく触れる。柔らかくて、心地良い感触。
鈴花は驚いたように目を瞠っている。
そんな鈴花を愛おしく想いながら、今度は自分の元へと引き寄せる。
「お、沖田さん……」
鈴花から聴こえる鼓動。速まっているように感じるのは気のせいだろうか。
「――しばらく、こうさせてくれませんか?」
「で、でも……」
「大丈夫。これ以上は何もしませんから……」
沖田は鈴花を安心させようと、片方の手で彼女の髪に触れる。
人の温もりを感じていると、自分は生きているのだと再認識出来る。だが、それは誰でもいいというわけではない。鈴花でなければ安らぎを与えられることなど、出来はしない。
「沖田さん……」
沖田の中に包まれていた鈴花が、囁くように彼の名を呼ぶ。
「何ですか?」
「私、凄く幸せですよ」
恥じらうように告げてくる鈴花に、沖田は心の底から喜びを覚えた。
「それは奇遇ですね。僕も、あなたと同じことを考えていましたから」
「沖田さんも、ですか……?」
「ええ。僕にとって、あなたとこうして過ごす時間が何よりも愛おしくて堪らないのです。もしかしたら、剣を振るうことより、ずっと……」
沖田の言葉に安堵したのか、鈴花は胸に顔を埋めてくる。
「ありがとう、ございます……」
鈴花から感謝の言葉が告げられる。
沖田は口許に微笑を浮かべた。
「僕の、正直な気持ちですから。あなたが側にいること。――それが、僕の最高の幸せです」
そう言って、さらに鈴花を強く抱き締める。
鈴花もまた、沖田の背中に手を回し、抱き返してきた。
「ずっと、一緒に生きましょう。――伊東さんや、平助君の分まで……」
「ええ……」
沖田は頷きながら、強い決心を胸に固めた。
どんなことがあろうとも、彼女と共にあることを――
【初出:2007年11月22日】