京の町中を、鈴花は沖田と並んで歩いていた。
「こうしてのんびりするのも決して悪くはないですね」
沖田はそう言いながら、無邪気な笑顔を浮かべる。
「ふふ、そうですね」
鈴花もまた、にっこりと微笑みながらそれに答える。
沖田の言う通り、このところ休みらしい休みは全くと言っていいほどなかった。それだけ、新選組が重要視されるようになってきた証拠であろうが、隊士も人間。やはり、ゆっくり過ごせる休日は嬉しいものなのだ。
「さて、まずはどこに行きましょうか?」
沖田は相変わらず、屈託なく笑っている。鈴花よりも年上なのに、まだまだ少年のようなあどけなさを感じてしまい、つい、頬が緩んでしまう。
純真無垢で、邪気など全くない。だが、純粋であるからこそ彼が危険な存在であることを、鈴花はまだ気付いていなかった。
しばらく歩いていたら、鈴花に何かがぶつかってきた。
「あっ!」
体勢を崩し、鈴花はその場に崩れ落ちる。
「桜庭さん!」
沖田は咄嗟にその場に屈み、鈴花に手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
鈴花が立ち上がったのを確認すると、沖田は彼女から視線を外し、別の方を睨む。その先には、お世辞にも善人とは言えないような柄の悪い男が数人いた。
「ぶつかってきたのは、あなたですね?」
淡々とした口調で、沖田はその中のひとりに問いかける。
「ああ? だったらどうだってんだよ」
予想はしていたが、男は全く反省している様子がない。それどころか、明らかにふたりを見下している。
(なんて感じの悪い……)
鈴花がそんなことを思っている隣で、沖田は言った。
「悪いことをしたら謝る。それは人として当然のことですよね? あなたは今、彼女にぶつかった挙げ句、転ばせた。下手すれば怪我をしていたかもしれないんですよ? さあ、今すぐ彼女に頭を下げて下さい」
沖田の言葉に男はしばらく呆気に取られていたが、突然、大声を上げて笑い出した。
「あははは……! 何を言いやがるかと思ったら! しかもこんな小娘に頭を下げろだと? けっ、冗談じゃねえぜ!」
男に釣られるように、周りにいた連中も腹を抱えて笑っている。
(小娘、なんて……)
馬鹿にされた悔しさで、鈴花はぎゅっと唇を噛む。
確かに、男達から見たらただの女に過ぎないだろう。だが、鈴花も隊士であることに変わりはない。
と、その時だった。
「ずいぶんと失礼な方達だなあ」
沖田が男達に静かな口調で言う。
それにより、笑い声は一気に止んだ。
「さっきも言いましたけど、謝るのは人として常識。そんな簡単なことも出来ないようなあなた達は、人間の屑ですね」
「……んだとお!」
男達が一斉に、刀に手をかけた。
「おや? この僕に勝負を持ちかけるとは、相当剣に自信がおありなのですね?」
にっこりと笑いながら沖田が言う。だが、先ほど鈴花に見せてくれた笑顔とはどこか違う。
鈴花の背筋は一気に凍り付いた。
「さあ。どこからでもかかってきて下さい!」
「この野郎!」
男達は一斉に沖田に斬りかかる。
だが、沖田は臆することなく次々と斬り倒してゆく。
鈴花はただ、それを傍観しているだけだった。本当は助太刀するべきなのだろうが、何故か、沖田がそれを拒んでいるように感じたのだ。
気が付くと、残っているのは鈴花にぶつかってきた男、ただひとりになっていた。
「最後はあなたですか?」
男を冷たい眼差しで眺めながら、沖田は確認するように言う。
「あ……、あ……」
男は完全に顔色を失っている。まさか、ものの数分で、しかもたったひとりで仲間全員を斬り殺してしまうとは予想だにもしていなかったのだろう。
鈴花もまた、驚きを隠せなかった。
(強いのは知っていた。だけど……)
背中に、冷たいものがゆっくりと流れ落ちる。
「それじゃあ、行きますよ」
「――ま、待て!」
沖田が男に刀を向けたのと同時に、男は握っていたそれを地面に投げ出す。
「あんたの強さはよく分かった! だから、ど……、どうか助けてくれ!」
必死の形相で、男は沖田に懇願する。
だが――
「――何を言っているのですか?」
そんな男に対し、沖田はなおも冷ややかに言い放つ。
「勝負を持ちかけてきたのはあなたでしょう? それなのに、今さら投げ出すなんて……。でも、僕はあなたに情けをかけるつもりなんて毛頭ありませんから。さて、そろそろ仕上げと行きま……」
「沖田さん!」
沖田が言いかけた言葉を、鈴花の声が遮った。
「もうやめて下さい! この人にはもう戦意はないんですから! お願いですから、どうかこれ以上人を殺さないで!」
「――桜庭さん」
静かな声で、沖田が言う。
「少し、黙っていてくれませんか?」
口調は丁寧だが、有無を言わせる隙を全く与えない。
鈴花はもう、何も言えなかった。ただ、男の末路を黙って見つめるしかなかった。
「おやすみなさい。良い夢を……」
沖田は囁くように言いながら、男を斬った。
「ぐあ……!」
断末魔の叫び声を上げながら、男はその場に崩れた。
止めどなく流れ出る血。それを眺めているうちに、鈴花の意識は次第に遠退いていった。
しばらくして、鈴花は目を覚ました。
「気が付きましたか?」
心配そうに、沖田が鈴花を見下ろしている。
「――ここは……?」
「町外れの河原ですよ。気を失ってしまったあなたを、ここまで運んで来たんですが……」
沖田はそう言って、いつもの柔らかな笑顔を向けてきた。先ほどまでのことが夢だったのではとさえ思ったが、夢ではない。むせ返るような血の臭いは、しっかりと鼻にこびり付いている。
「――あれが、刀を持つ者の宿命……、なんですね……」
鈴花はぽつりと呟く。
「私も、いつかは……」
「桜庭さん」
鈴花の言葉を覆うように、沖田が名を呼ぶ。
「確かに僕は、斬り合いが楽しくて仕方がありません。ですが、あなたが命を落とすことなど、僕は決して望んでいない。勝手なことを言うようですが……、あなたにはずっとこの先も生き抜いてほしい。誰よりも愛しい、あなただけは……」
沖田はそう言って、鈴花の頬に優しく触れる。
「沖田さん、温かいです……」
鈴花の言葉に、沖田は嬉しそうに微笑む。そして、そよ風のような柔らかい声で告げた。
「僕もあなたも、〈生きている〉からですよ」
【初出:2007年11月17日】