春雨

沖田総司×桜庭鈴花


 少しずつ春の足音が近付いてきた。朝晩はまだ冷え込みが激しいものの、それでも日中は暖かさを感じるようになった。
 しかし、今日は生憎の曇り空だ。
(せっかくのお休みなのに……)
 庭先で空を仰ぎながら、鈴花は深い溜め息を吐く。

『今度の休み、一緒に町に出てみましょうか?』

 つい先日、そう沖田に誘われていたが、この天気ではさすがに出歩くことなど出来ないだろう。ましてや、一見気丈に振舞っていても、沖田は病を持つ身だ。無理をさせたらどうなるか。
(諦めるしか、ないわね……)
 そう思いながらため息を吐いた時だった。
「桜庭さん」
 いつもの無邪気な笑顔を見せながら、沖田が声をかけてきた。
「こんな所で何をしているんですか? ずいぶんと探したんですよ」
「探してたん、ですか……?」
 気分が落ち込んでいるせいか、沖田の言葉も他人事のようにしか受け取れない。
 だが、当の沖田はまったく気にしている様子はなく、屈託のない笑顔のまま言葉を紡いだ。
「はい。前から約束していたじゃありませんか。休みに町に出よう、って。今日はせっかく休みが重なったんですから、一緒に町に行きましょう?」
「えっ、でも……」
「でも、何ですか?」
 沖田は怪訝そうに鈴花を見つめている。
「でも、天気が……」
「天気? ああ、なるほど」
 鈴花の言葉に、沖田は空を見上げた。
「確かにいい天気とは言いがたいですよね。でも、そんなことを言ってたら、またいつ休みが重なるか分からないですよ? 雨が降ったらどこかで雨宿りをするなりすればいいんですから。さ、行きましょう」
 口調は穏やかだったが、有無を言わせないとばかりに沖田はさっさと歩き出す。
「あっ! 待って下さい!」
 そんな沖田に触発され、鈴花も慌てて後を追った。

 しばらくして、ふたりは町中に入った。
 天気とは裏腹に周りは活気に溢れている。この光景はいつ見てもほっと心が安らぐ。
「やはり、出て来て正解でしたね」
 沖田も鈴花と同じことを思っていたのか、にこにこしながら言う。
「僕はたくさんの人の笑顔を見るのが大好きなんです。それだけで、幸せな気持ちになれるから。――何より、元気を分けてもらえるような気もしますしね」
 沖田の言葉に、鈴花は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
 何気なく口にしたのかもしない。しかし、そのさり気ない一言に重みを感じる。
「どうしましたか?」
 黙りこくってしまった鈴花を気にしてか、沖田は顔を覗き込んできた。
「えっ! いえ、何でも……」
 これ以上よけいな心配をさせまいと、鈴花は必死で頭を振った。
「――そうですか?」
 沖田はまだ何か言いたげにしていたが、それ以上は追求をしてこなかった。
 と、その時だった。頬に冷たいものが当たった。
「雨ですね」
 沖田は宙に手をかざす。
 最初はゆっくりと落ちてきた雫も、一気に強さを増してゆく。
「どこか雨宿り出来そうな場所を探しましょう」
 沖田はそう言うと、鈴花の手を取った。
 突然のことに、鈴花は驚きを隠せなかったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
 雨の降りしきる中、ふたりはひたすら走った。

 どれほど走り続けたであろうか。ふたりは目に付いた宿屋らしき場所へ入った。
「しばらくここで雨宿りするしかありませんね」
 部屋に入るなり、沖田は落ち着いた口調で言った。
 だが、鈴花は心の底から動揺していた。
 どう考えても、入った場所は普通の宿屋とは違う。薄暗い部屋の中に、枕がふたつ添えられた布団がひとつ。そして何より気になったのが、ここへ入る時に見た、主人の薄ら笑い。
(ま、まさか……?)
 鈴花ここで、ようやくはっと気が付いた。
「お、沖田さん……」
 もの珍しげに部屋を見回す沖田に、彼女はおずおずと言った。
「えっと、ここはもしかしたら……、その、男女が逢い引きをする場所じゃ……」
「――え?」
 沖田はきょとんとしたまま、鈴花を見つめ返す。
 まさかとは思ったが、やはり沖田は分からずに入ったらしい。
 そんな沖田に鈴花は続けた。
「ですからここは、さっきも言った通り、そういった仲の男女が交わる場所で……」
 説明するうちに、段々と恥ずかしくなってきた。今にも火が出そうなほど、顔は熱く火照っている。
(なんで私がこんなことを教えないと……)
 鈴花は俯いた。赤くなっている顔を見られては堪らない。
「桜庭さん」
 沖田が優しく声をかけてきた。そして、沖田の大きな手で鈴花の濡れた髪に触れてくる。
「こんなに濡れてしまって……。すみません。僕が無理矢理あなたを連れ出してしまったから……」
 そう言うと、今度は鈴花の身体を自分の元へと引き寄せる。雨が染み込んだ着物は、いっそう冷たさを感じる。
「このままでは、お互い風邪を引きますね」
「え、ええ……」
 予想に反した沖田の行動に、鈴花の頭は混乱している。だが、混乱しつつも、心のどこかでこうなることを望んでいたようにも思える。
(ど、どうしたら……)
 ふと、沖田の身体が離れた。
 交差する視線。鼓動は凄い勢いで速まっている。
「鈴花さん」
 沖田が鈴花の下の名前を口にした。
「は、はい……」
「――あなたを、抱いてもいいですか……?」
 しっかり確認してくる辺り、ずいぶんと律儀だ。
 沖田らしいと思いつつ、鈴花は口許に笑みを浮かべながら頷く。
「いいですよ。沖田さんなら……」
 言い終わらぬうちに、沖田は先ほどよりも強く鈴花を抱き締めてきた。
「僕と、このままずっと……」
 沖田の唇が鈴花のそれに重なる。初めての口付けはぎこちなく、けれどもこの上なく愛おしく思えた。

 ふたりが抱き合っている間に、いつの間にか雨音が遠ざかっていた。どうやら雨が上がったらしい。
「沖田さん」
 隣で眠る沖田に、鈴花はそっと声をかける。
「雨、止みましたよ?」
 鈴花の言葉に、沖田は気だるそうに身を起こした。
「――そうですか。では、そろそろ戻らないといけませんね」
 名残惜しそうに言う沖田。それは鈴花も同じだった。
 出来ることなら、ずっとこのままいたい。しかし、ふたりの想いとは裏腹に時は刻々と過ぎてゆく。
「沖田さん」
 鈴花は真っ直ぐに沖田を見つめながら、言葉を紡いだ。
「私達は、まだこうして生きているんですから。あなたが私を恋しいと感じてくれてるなら、また、いつでも……」
「鈴花さん……」
 沖田は鈴花の胸に顔を埋めた。まるで、母親に甘える子供のように。
「ありがとう。あなたにはいつも救われてます……」
 鈴花はそっと、沖田を抱き締める。これからも、元気で笑っていてくれるようにと願いを籠めながら――

【初出:2008年3月25日】
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