繋いだ温もり

岡田以蔵×桜庭鈴花


 いつもの如く、俺は当てもなく京の町を歩く。
 周りの視線が痛い。そして、人と擦れ違うたびに聴こえてくる。
「あいつ、人斬り以蔵だろ? 何だってこんな所をうろ付いてんだよ……」
 分かってはいる。俺は所詮、人斬り以外に何も出来ないのだから。
 しかし、改めて後ろ指を差されると哀しい気持ちになるのも本心だ。
(俺は結局、ひとりでしか生きられないのだ……)
 そんなことを思っていた時だった。
「岡田さん……?」
 背中越しに声をかけられた。柔らかくて澄んだ、綺麗な女性の声。
(もしや……)
 俺はゆっくりと振り返る。
 やはり、思った通りだった。
「こんにちは」
 声の主である女性は、俺ににこやかに挨拶してくる。
 俺は戸惑いつつ、小さく頭を傾ける。
「あの、ご一緒してもよろしいですか?」
 相変わらず突飛なことを言ってくる。だが、断る理由もない。
「別に……、構わないが……」
 そう答えると、声の女性――鈴花は嬉しそうに俺の隣に並んだ。
「――鈴花、さん……?」
「何ですか?」
「あ……、人が、見ているから……」
「え……?」
 俺の言葉に、鈴花は周りに視線を巡らせる。
「ああ、確かに見ていますね」
 冷たい視線を浴びているにも関わらず、鈴花はあっさりと言ってのけた。
「――気に、ならないのか……?」
「どうしてですか? 岡田さんも私も、別にあの人達に悪いことなんてしていないじゃないですか。それに、びくびくしていたらよけいに怪しまれます。だから、堂々としていましょう」
 真っ直ぐな瞳を向けながら、鈴花はそう告げた。
「さ、気分を切り替えましょう! そうだ岡田さん、お腹空いてません? この辺でご飯がとても美味しいお店を見付けたんです。良かったらご一緒していただけませんか?」
「え? ああ……」
 俺は言われるがまま、鈴花に着いて行く。
 そんな俺に、鈴花は優しい笑顔を向けてきた。

 飯屋に着くと、鈴花はてきぱきと店の者に注文を言い付けていた。
 俺は口を挟む隙すらない。元々、彼女に口出しするつもりなど毛頭なかったが。

 飯は思いのほか早く運ばれてきた。食欲をそそる旨そうな匂い。
 だが、何より驚いたのは量だった。俺はともかく、女性である鈴花には少し無理があるのではないか。
「さ、熱いうちに食べちゃいましょう!」
 俺の気持ちとは裏腹に、鈴花は意気揚々と箸を取る。
 俺もそれに倣った。このところ、まともな飯を食っていない。それもあって、俺の手と口はよく動いていた。
 ふと、俺は視線を感じて箸を止めた。
 鈴花が、じっと俺を見つめている。
「ふふっ」
 不意に鈴花から笑い声が漏れてきた。
「す、すまない……」
 完全に呆れられている。
 俺はいたたまれなくなり、咄嗟に謝った。
「どうして謝るんですか?」
 大きな目をさらに開き、鈴花は首を傾げる。
「いや、ちょっと、意地汚い食い方をしてしまったかと思って……」
「あら、そんなこと私は気にしてませんよ? それどころか、本当に美味しそうに食べているから見ていて嬉しくなってしまって」
「――そうなのか……?」
「はい」
 鈴花は大きく頷いた。
「ご飯を美味しく食べられるのは幸せなことですから。もちろん、作ってくれた人への感謝も忘れずに、ね」
 そう言うと、鈴花は屈託なく笑う。
「ほらっ、まだまだあるんですからたくさん食べて下さい!」
 鈴花に勧められ、俺は箸を再び動かした。
 鈴花も今度は食べることに集中し始めた。

 食欲を満たした俺達は、昼下がりの町中をゆっくりと歩いていた。
 結局、鈴花は自分の分は食いきれず、俺が代わりに全部食うこととなった。
「綺麗な空ですね」
 天を仰ぎながら、鈴花が言った。
 俺も空を見上げる。
 透明に近い青に、その中を流れる雲。あの雲は、いったいどこまで行くのだろう。そんなことを考えていた時だった。
「――あの空に比べると、人間は本当にちっぽけですよね」
 予想外の鈴花の言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
 俺の中での彼女は、優しくて強い女性だ。だから、こんな弱音のようなものが漏れるとは思わなかったのだ。
 俺は何も言えなかった。鈴花を大切に想い始めているのは自分でも意識している。だが、大切だからこそ、簡単に口に出来ない。
「あ、ごめんなさい。私ったら……」
 鈴花は空気を察したのか、俺に視線を移して謝ってきた。
「私、ちょっとばかり自信を失っていたんです。これから先、ひとりでやっていけるのかな、って……。でも、弱気なままではいけませんよね。頑張ろうって、京に来た時から決心していたのですから」
 鈴花のひた向きな姿に、俺の心は揺れ動いた。躊躇いつつ、それでも鈴花の手をそっと握る。
「これで、あなたの不安が拭えるのなら……」
 鈴花は驚いたように瞠目していた。しかし、握られた手を振り払おうとはしなかった。
「ありがとう、ございます……」
 そう言うと、鈴花も俺の手を強く握り返してきた。
 これ以上は何も望まない。ただ、鈴花と触れ合えたことが、俺にとっては最高に嬉しかった。

 ◆◇◆◇

 あなたといられる時間は限られている。
 だから今だけ、あなたとこうしていられる幸せを感じさせてほしい。
 心の中でだけでも、ずっと繋がっていられるように――

【初出:2008年5月20日】
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