その手を離さない

山南敬助×桜庭鈴花


「桜庭君」
 鈴花は用事を済ませ、自室へ戻ろうとしていたところへ山南に声をかけられた。
「何ですか?」
「いや、大したことではないんだが……。もし良かったら、少し私に付き合ってくれないかい?」
「――いいですけど?」
 鈴花が答えると、山南は幼い子供のように無邪気に笑った。嬉しい半面、以前にも同じような展開があったことを想い出し、嫌な予感も頭を過ぎった。
 その時は確か、山南が発明したというお茶酌み人形を半ば強引に披露させられた。それだけならまだ良かったのだが、鈴花が触ったあと、何故か不気味な音――と言うより、あれは笑い声だった――を出し、爆発したのだった。
(絶対、何かが取り憑いていたとしか思えないのよね、あの時のからくり人形……)
 そんなことを考えながら、鈴花は先を歩く山南の後を着いて行く。
 鈴花は今、非常に緊張している。
 本音を言えば、二度とあんな物に関わりたくない。山南のことは愛しているが、それとこれとは話が別である。
(あんな奇天烈な趣味さえなければ、文句の付けようがない素晴らしい総長なのに……)
 思わず溜め息が漏れた。
「桜庭君、どうしたんだい?」
 溜め息を聴き付けたのか、山南がぴたりと立ち止まり、後ろを振り返る。
(不味い!)
 鈴花は狼狽した。
「え、えっとですね! その、どこへ連れて行ってくれるのかなあ、なんて思って……」
 どう考えても苦しい言い訳だった。
 だが、山南は嫌な顔ひとつ見せず、むしろ柔らかな微笑を浮かべた。
「ちょっと遠いけど、良い所だよ」
 そう言って、今度は鈴花と並んで再び歩き出した。

 しばらく歩くと、風に乗って、何かがふわりと舞っているのが目に付いた。
 よく見るとそれは、淡い桜の花弁だった。
「ここだよ」
 そこには無数の桜の木が、美しさを競うように並んでいる。
 鈴花は言葉を失い、ただただ、その桜達に魅入っていた。
 そんな彼女を優しい眼差しで見つめながら、山南は言った。
「つい先日見付けてね。ぜひ君に見せてあげたいとずっと思っていたんだよ」
「私のため、ですか?」
「ああ、そうだよ」
 鈴花は嬉しかった。
 と同時に、山南に変な疑いをかけてしまったことを心から申し訳なく思っていた。
「――ごめんなさい……」
 気が付くと、鈴花の口から謝罪の言葉が出ていた。
「ん? 別に謝られるようなことをされた憶えはないと思うけど?」
「いえ。ただ、山南さんがこんな素敵な場所に連れて来てくれるなんて思ってなかったので……」
 鈴花の言葉に、山南にしては珍しく、少し照れ臭そうな笑みを浮かべていた。
「桜庭君」
 山南は鈴花の髪に絡み付いていた花弁を指で摘み、続けた。
「私にとっての幸せは、君が私の隣で笑っていてくれることなんだよ。君の笑顔を見ていると、どんなことでも乗り越えられそうな、そんな気持ちにさせてくれる。だから、君にはずっと、私の側にいてもらいたい……」
 突然の告白に、鈴花はしばし呆然としていた。
「桜庭君?」
 何の反応もないことに不安を感じたのか、山南が顔を覗き込んできた。
「あ、あの……、本当に私で、いいんですか……?」
 おずおずと訊ねる鈴花に対し。山南は「もちろん」と大きく頷いて見せた。
「私は最初から君だけを見ていた。もちろん、これからもね」
 そう言って山南は、そっと鈴花の手を取る。
 鈴花もまた、山南の想いに応えるように彼の手を強く握った。

 二度と離れることのないように、と願いながら――

【初出:2007年3月22日】
Page Top