よく晴れたある日の昼下がり。山南が庭先に出てみると、鈴花が天を仰ぐような姿勢で何かを見ていた。
(何をしているんだ?)
山南はそっと鈴花に近寄り、声をかける。
「桜庭君」
「きゃあっ!」
驚かすつもりはなかったのだが、鈴花は屯所内に響き渡りそうなほどの悲鳴を上げた。と同時に、何かが手から滑り落ちた。
「ああっ!」
鈴花は再び声を上げ、慌ててそれを拾う。
「良かった。壊れてない」
無事を確認すると、今度はそれを大事そうに両手で包んだ。
「桜庭君、それは……」
山南が言いかけると、鈴花は嬉しそうに「はい」と答えた。
「以前、山南さんからいただいた更紗眼鏡ですよ」
「ああ、やはりそうだったか」
山南は笑みを浮かべた。
いつまでも女性としての輝きを忘れてほしくないという願いと、そして、鈴花への想いを込めて作った更紗眼鏡。彼女はそれを、ずっと大切に持っていてくれていたようだ。
「これ、天気のいい日に覗くとキラキラと輝いてとても綺麗なんです。山南さんも見てみます?」
鈴花はそう言って、山南に更紗眼鏡を差し出してきた。
彼女のために贈ったものを自分が手にするのは変な気分だったが、山南は言われるままそれを受け取り、先ほど鈴花がしていたように天を仰ぐ格好でそれを覗いてみた。
鈴花の言う通り、色とりどりの欠片達は次々と形を変えながら美しい輝きを放っている。自分が作ったものだということも一瞬忘れ、山南はそれに見入ってしまった。
「ね、綺麗でしょう?」
「ああ、そうだね」
山南は頷き、更紗眼鏡を下ろす。そして、再び鈴花の手に戻した。
「嬉しかったんです」
更紗眼鏡を抱き締めるように持ちながら、鈴花は言葉を紡いだ。
「まさか、山南さんからこんな素敵なものをいただけるなんて思ってませんでしたから。でも……」
「でも?」
怪訝な思いで山南は問う。
「山南さんに貰ってばかりで、私は何もしてないなって。そう思ったら、何だか申し訳なくて……」
「なんだ、そんなことか」
悪い想像しかしていなかった山南は、ほっと胸を撫で下ろした。
「気にすることはないよ。むしろ私は君に感謝しているぐらいなんだよ。熱を出して倒れた時も、塾を始めるきっかけを作ってくれたのも君だ。桜庭君がいなかったら、私は自分の生きる意味を見出せずにいたかもしれない」
そこまで言うと、山南は鈴花ににこりと微笑んだ。
だが、それでも鈴花は食い下がってくる。
「でも、やっぱり私の気が済みません。山南さん、何か望みはありませんか? 出来ることなら何だってしますから」
山南は困惑した。急に言われても何も浮かばない。
(望み、か……)
山南はしばし考え込む。何よりも欲しいもの。それは――
「桜庭君」
山南は真っ直ぐに鈴花を見つめた。
「本当に、望みを叶えてくれるのかい?」
鈴花は表情を明るくさせた。
「ええ、もちろんです!」
「そうか」
山南は短く答え、鈴花の顎に軽く手を添える。そして、そのまま顔を近付け、彼女の唇に山南のそれを重ねた。
鈴花は硬直していた。多分、何が起こったのか分からずにいるのかもしれない。
山南が唇を離してからも、鈴花は放心状態のまま突っ立っている。
「桜庭君」
山南が名前を呼ぶと、催眠から解き放たれたかのように意識を取り戻した。
「あ、あの……」
「これが私の望みだよ。ずっと、君とこうして触れ合いたかった。桜庭君は嫌だったかい?」
山南が訊くと、鈴花は顔を赤らめながらも首を横に振った。
「――いえ、山南さんなら、嫌じゃ、ないです……」
鈴花のこの言葉に、山南は心が温かくなるのを感じた。
【初出:2007年2月13日】