日に日に秋が深まってきた。青々と繁っていた葉も、赤や黄色など色とりどりに色付き始めている。
(あの葉が全て落ちきったら、今度は冬の到来か……)
縁側で胡座を掻きながら、近藤はぼんやりとそれを眺めていた。
新選組の名が京の中で轟くようになってから、彼は多忙な日々を送り続けている。京に上がったばかりの頃はただの田舎者だと侮られていただけに、周りから信頼されるのは本当に喜ばしいことだ。
しかし、近藤も人間である。こうも働き詰めでは体力も限界に達する。
「はあ……」
思わず深い溜め息を吐いてしまった。
その時、庭にひとりの少女が現れた。彼女は近藤の元へ歩み寄ってくると、いきなり「近藤さん、目が虚ろになっていますよ?」と言ってきた。
「ああ、桜庭君……」
近藤は少女の苗字を呼ぶ。その声には、いつもの覇気が全くない。近藤自身も自覚していた。
少女――桜庭鈴花は、そんな近藤を呆れたように見下ろしている。
「近藤さん、大丈夫ですか……?」
「え? あ、ああ、大丈夫だよ」
「――全然大丈夫そうに見えないんですけど……」
近藤の答えに冷たく突っ込みを入れる鈴花。
近藤は苦笑した。
自分より若いからか、鈴花は元気が有り余っているように感じる。どんなに稽古をしてもあまり疲れを見せないし、非番の時は、好物の甘い物を求めて甘味処巡りをしているらしい。
近藤も甘い物は好きだが、さすがにそこまでしようとは思わない。せいぜい、馴染みの芸妓達から情報を仕入れる程度だ。
「若いっていいねえ……」
つい、口を突いてしまった。
それを聴いた鈴花の口許は、ひくひくと引きつっている。
「ちょっと、年寄り臭いことを言わないで下さいよ……。そうだわ! これから外の空気を吸いに行きましょう! こんな所にじっとしていたらよけいに老け込んでしまうだけです」
鈴花は「さあ、行きますよ!」と言って、近藤の着物の裾を強く引っ張った。
「わ、分かった。分かったから、もう少し力を緩めてくれないか……?」
強気な鈴花に対し、さすがの近藤もたじたじになっていた。
近藤と鈴花は町中へと入った。
楽しそうに歩く鈴花の一歩後ろを、近藤が着いて行っている。
元々素直な彼女は、表情がよく変わる。それを見ているだけで、近藤の心は和らいでゆくようだった。
「近藤さん、疲れている時には甘い物が一番です。私のお勧めがありますから、これから一緒に行きましょう!」
鈴花はそう言うと、近藤の腕を掴んだ。
予想外のことに、近藤は驚いて目を瞠る。普段の鈴花なら絶対にこんな大胆な行動は取らないから、近藤の動揺は相当だった。
そんな近藤の想いを知ってか知らずか、鈴花は腕を引いたまま目的の店へと入る。仄かな温かさと共に、鼻に飛び込む芳しい匂い。
ふたりは店の奥に席を取り、店主に注文を申し付けた。
来るまでの間、近藤は店内をぐるりと見回す。店主もそうだが、来ている客も憂いなど感じさせないほど明るい。時おり、賑やかな笑い声も店中にこだましている。
(やはり、こういう雰囲気はいいよな)
近藤は素直にそう思った。
笑いの絶えない明るい世の中。これからもずっと、こんな日々が続けば良い。そう願わずにはいられない。
店を出ると、再びひんやりとした空気が身体に纏わり付いてきた。すっかり日も傾いている。
(早く帰らないと……)
近藤はふと、眉間に皺を寄せながら帰りを待っている土方を想像した。
「あんたは仮にも局長なんだ。あんたがしっかりしてくれないと、他の隊士に示しが付かない」
きっと、そう説教されることであろう。
「近藤さん」
自分を呼ぶ声に、近藤ははっとした。
「あの、今日はすみませんでした……」
突然、鈴花が謝罪を述べる。
近藤は怪訝に思いながら首を傾げた。
「ん? 君に謝られるようなことはされてないけど?」
「――いえ、近藤さんを無理矢理連れ回してしまいましたから……」
鈴花の言葉に呆気に取られたが、しだいに笑いが込み上げた。
「あははは……! 別に気にする必要はないさ。それどころかいい気分転換になったよ。――ありがとな」
「そうですか」
近藤の言葉に安堵したのか、鈴花にも笑みが零れた。
「近藤さんの気分転換になったのであれば、私も安心しました。最近は、いつ見てもお疲れの様子でしたし……。局長と言う立場上、弱音を吐くなんてそうそう出来ないでしょうけど、時には息抜きも大切ですよ? って、偉そうなことを言っているようですけど……」
「いや、君の言うことももっともだ。そうだな、毎日だらけてばかりじゃみんなに呆れられて見放されてしまうだろうけど、たまにならば悪くないかな?」
「ええ、無理をして倒れたりしたら、それこそみんなが困ってしまいますよ。近藤さん、これからもお願いしますね」
「ああ、任された」
ふたりの間に温かな空気が流れる。辺りを漂う寒さなど消し去ってしまうほどに。
「それじゃあ、ゆっくりと帰ろうか?」
近藤はそう言って、鈴花の手を自らのそれで包み込んだ。
鈴花は目を丸くして近藤を見上げる。まさか、手を握られるとは思ってもみなかったのだろう。
近藤は鈴花と目が合うと、満面の笑みを浮かべた。
「今日ぐらい、手を繋いでもいいだろ? ただし、屯所に着くまでの間だけだけどね」
鈴花は何も答えない。心なしか、その頬はほんのりと紅く染まっているような気がした。
【初出:2008年10月6日】