梅雨に入り、毎日のように雨が降り続いていた。
「よく降るなあ……」
鈴花は縁側に正座しながら、ぼんやりと雨空を見上げる。
さあさあと、まるで音楽を奏でているかのように心地良い音。少しずつ、眠りの世界へと誘われてゆく。
と、その時――
「こんなところで寝てたら風邪引いちまうぜ?」
突然声をかけられ、はっと目を覚ました。
「最近疲れてんじゃない、桜庭君?」
「近藤さん……」
声をかけてきたのは、局長の近藤だった。近藤は心配そうに、鈴花の顔を覗き込む。
まじまじと顔を見られた鈴花は、緊張のあまり身体が硬直してしまった。
だが、当の近藤は全く気にも留めた様子を見せず、黙って鈴花の隣に腰を下ろした。
ふたりの間に沈黙が流れる。ただ、雨音だけが耳に響く。
「――雨を見ていると……」
先に沈黙を破ったのは近藤だった。近藤は雨を眺めながら続ける。
「なんつうか、切ない気持ちになるんだよ。俺はこの目でたくさんの人間の死を見続けてきた。でも、俺は泣くことが出来ない。だから、代わりに空が亡くなった魂を悼んでいるような、そんな気がしてね……」
近藤の言葉を聴きながら、鈴花もまた、胸が締め付けられるように苦しくなった。
鈴花も近藤と同様、多くの死を目の当たりにしている。
隊規を破ったがために粛清された者。信念を貫くために切腹した者。志半ばで斬られた者――
頭の中で、彼らの面影が浮かんでは消える。
(でも、近藤さんはもっと辛いはず……)
鈴花はちらりと近藤を盗み見る。
近藤の視線は、相変わらず外に向けられている。無表情――いや、哀しみを必死で堪えているような表情で、雨空を見つめ続けていた。
(私が、近藤さんを元気付けてあげられたら……)
そう思うものの、何をしていいのか分からない。あまりに無力な自分を恨めしく感じた。
「――ごめんなさい……」
ぽつりと呟く。
近藤は視線を鈴花に移した。
「どうして謝るんだい?」
「だって、私は近藤さんに何もしてあげられないから……。あなたを想う気持ちは誰にも負けないのに、それなのに……」
鈴花の言葉に、近藤は一瞬目を見開く。だが、すぐに口許に笑みを浮かべ、鈴花の頬にそっと手を添える。
「そんなことはないさ」
近藤は穏やかな口調で言葉を紡いだ。
「君が側にいてくれるだけで俺はどんなに勇気付けられているか……。君はこんな俺を、いつでも愛してくれる。だから俺も、君の気持ちに応えたい。狡い男と思われるかもしれないが……、俺は妻や娘と同じくらい、君を愛してるから……」
「近藤さん……」
鈴花の瞳に涙が溢れる。自分を必要としてくれていることが嬉しくて堪らなかった。
「――桜庭君……」
近藤が鈴花に真っ直ぐな視線を注いできた。
「これからも、俺と共にいてくれるかい?」
鈴花は頷く。
離れたくない。どんなことがあっても近藤と一緒にいたいと、鈴花は心から願った。
近藤は鈴花の唇に、自分のそれを重ねる。触れるだけの口付けだったが、この上なく幸せだった。
「――近藤さん」
唇が離れてから、鈴花は近藤に告げた。
「あなたが辛い時は、私がいつでも側にいますから。泣けないのなら、あなたの代わりに泣きます。――この雨と一緒に……」
◆◇◆◇
哀しみも苦しみも包み込んでしまうように、雨は降り続く。
心の傷が癒える、その瞬間まで――
【初出:2007年6月19日】