辺りは静寂に包まれている。そんな中で、時おり焚火の爆ぜる音が響く。
アシㇼパさんは俺の隣で、気持ち良さそうに熟睡している。普段は少し大人びたところのある少女だが、寝ている姿は幼い子供そのものだ。
可愛いな、などと思いながら、起こさぬよう、そっと頭を撫でる。楽しい夢でも見ているのだろうか。聴き取れないほどの寝言を言いながら、口許を綻ばせている。
俺も釣られて笑みが零れた。戦争で荒んでいた俺の心は、アシㇼパさんと出逢ったことで少しずつ和んできた。
と、突然デカいいびきが聴こえた。いびきの元凶は白石だ。こいつもいつの間に、俺達に溶け込んでしまったのか。利害が一致したことで行動を共にするようになったが、白石もまた、囚人とは思えないほど明るく朗らかで、気付けば信頼の置ける間柄となっていた。
アシㇼパさんも、白石によく懐いている。俺ほどではないだろうが、多分。
ふたりが寝ている側で、俺は黙って火に見入っていた。家族が結核で斃れてからずっとひとりだったから、誰かが隣にいることが不思議に思える。こうした、当たり前のようで当たり前でない毎日がいつまで続くだろう、などとぼんやり考えていたら、草を踏み締める音が耳に飛び込んだ。
俺は咄嗟に腰を上げた。銃剣を抜き、すぐに戦闘態勢に入れるように身構える。が、正体が分かったとたん、一気に脱力した。
「何だ、尾形かよ……」
正体が分かったとはいえ、あまり歓迎の出来る相手ではない。軽く舌打ちすると、「何だはねえだろ」と呆れたように返された。
「呑気に寝ているお前らに代わって、俺はその辺を見回りしてたんだ。せめて、労いの言葉ぐらいはあってもいいんじゃねえか?」
「――俺はこの通り起きてんだろうが、クソ尾形」
何故だろう。尾形が相手だとつい、憎まれ口が出てしまう。元々、俺と尾形とでは馬が合わない。そもそも尾形そのものが信用出来ない。こいつはいつかまた寝返る。そんな確信があったのもある。
そんな俺に対し、尾形は大仰に溜め息を吐き、俺達から少し離れた場所に腰を下ろした。
俺もまた、それに倣うように座り直した。
俺達の間に沈黙が流れる。尾形は元から口数が決して多くないし、俺もまた、尾形相手では会話する気にならない。
面倒な奴が加わってしまった、と心底思う。だが、銃の腕前は確かで、それに救われた場面も多々ある。悔しいが、そこは認めざるを得ない。
「――いつまで付き合わせる気だ?」
静かな声音に、俺は弾かれたようにその方向へと顔を向けた。
黒い双眸が、俺をジッと見据えている。
俺もまた、尾形を睨み、「何が言いたい?」と返した。
「こんな怖い目で見んなよ」
尾形は微苦笑を浮かべながら、わざとらしく肩を竦める。だが、すぐに真顔になり、おもむろに続けた。
「俺はただ、その嬢ちゃんを心配してるだけだ。俺達の血生臭い争いごとに巻き込んで、さすがに気の毒じゃねえか? 嬢ちゃんのような綺麗な娘は、俺達といるより自然の中で伸び伸びと平和に暮らす方が似合ってる」
そこまで言うと、尾形は眠り続けるアシㇼパさんへ視線を移す。尾形からは感情が読み取れない。しかし、アシㇼパさんへ向ける眼差しはどこか穏やかだった。
「お前でも、他人を気にかけることがあるんだな」
少し驚き、正直な感想を述べると、尾形は今度はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「お前……、俺を何だと思ってたんだ?」
「ただの冷酷無慈悲な野郎かと」
「――失敬な野郎だ……」
尾形はまた大きな溜め息を吐き、自らの髪を撫でた。
「俺だってこれでも人の心ぐらいは持ってる。嬢ちゃんの気持ちも、何となくでも分かってるつもりだ。――まあ、当の本人はまるっきり気付いちゃいないようだけどな」
この言葉に、俺もさすがに苛立ちが隠せなかった。アシㇼパさんの気持ちが分かっていないなどと、尾形に言われる筋合いはない。
気付けば、俺は立ち上がり、尾形の胸倉を掴んでいた。そして、右の拳を握り締めて振り上げる。
「殴るのかい?」
俺に殴りかかられそうになっていても、尾形は表情ひとつ変えていない。
情けないことに、全く動じていない尾形に怖気付いてしまった。そのまま、拳は引っ込めてしまう。
「やれやれ、おっかねえ男だぜ」
尾形は口の端を上げ、俺に真っ直ぐな視線を注いできた。
「まあ、今のは俺の口が過ぎたな。つい、熱くなってしまった」
俺の手が離れてから、尾形は軍服の襟元を正す。
俺はその場に佇んだまま、唇を噛み締めた。
アシㇼパさんのことなら何で知っている、と言いたかった。しかし、本当に全て分かってあげているのだろうか。
アシㇼパさんの過去のことは聴いたことがある。本人だけでなく、コタンにいる叔父からも、どれほど淋しい幼少期を過ごしてきたかを。
だが、知っているのはそれだけだ。アシㇼパさんは今、どんな想いを抱きながら旅を続けているのだろう。本当は怖くて堪らないだろうに、俺達に気遣って気丈に振る舞っているだけなのではないのか、とも。
アシㇼパさんと関わっている日数で言えば、俺の方が遥かに長い。しかし、尾形は何でも知っているような口ぶりだ。何を知っているかは分からないが、恐らく、俺が問い質しても答えてはくれないだろう。
「おい、一等卒」
尾形の声に、俺はハッと我に返った。
尾形は片膝を上げた格好で頬杖を突きながら、呆れたように俺を見上げていた。
「あんまり思い詰め過ぎるな。嬢ちゃんだって、心底嫌ならとっくに逃げ出しているだろうよ。むしろ嬢ちゃんは、お前と一緒にいる方がいいんだろう。明らかに、お前と一緒にいる時の方が楽しそうだしな」
予想に反して、尾形は俺の望んでいた言葉を口にしてくれた。癪に障るが、ほんの少しだけ尾形に感謝した。もちろん、口に出して言うつもりはない。
「――もう寝る」
俺は尾形に背中を向け、そのまま横になった。このまま起きていたら、今度は心の内まで見透かされてしまいそうだ。
寝そべっていると、本当に睡魔が襲ってきた。俺は人の温もりが恋しくなり、夢を見続けているであろうアシㇼパさんを背中越しに抱き締めた。
そのうち、俺も深い眠りへと誘われていった。
【2025年3月22日】