信じられない光景だった。遠巻きにとはいえ、ようやくアチャと再会出来たのに、言葉を交わすことなくアチャは頭を撃ち抜かれてしまった。そして、その後に続いて、私の大切な男も撃たれた。
あの男は不死身だ。そうそう死ぬわけがない。必死で言い聞かせても、深い悲しみと不安は拭い去ることが出来ない。
尾形にふたりの死を伝えられ、絶望はさらに増した。アチャだけじゃない。初めて自分が愛した男――杉元が死んだなんて、信じたくない。でも、確かに銃弾に斃れた瞬間ははっきりとこの目に焼き付いている。
もう二度と、杉元に逢うことが出来ない。杉元と一緒に山に行って、オハウを囲んでヒンナヒンナ出来ない。それがあまりにも辛過ぎて、人知れず涙を流す毎日が続いた。
◆◇◆◇
杉元とアチャが死んでからも、私は目的を果たすため、ただひたすら進むしかなかった。ただ、どうしても以前のように笑えない。
最初に私が笑えなくなったのは、アチャもレタラもいなくなってしまってからだっただろうか。それからはどうやって笑うかを忘れてしまい、杉元に初めて出逢った時も表情が固かったと自覚していた。
けれど、杉元が果敢に羆に立ち向かう姿を目の当たりにした時、アチャの面影と重なり、自然と笑みが浮かんだ。同時に、杉元となら行動を共にしてゆきたいと思えた。
最初は相棒としてだった。しかし、一緒にいるうちに、私の気持ちに少しずつ変化が生じた。
杉元とひと時も離れたくない。独占欲にも近い感情が徐々に芽生え、杉元が他の女達に持て囃されると、「この男はウンコを食べる」などとアイヌ語で嘘を吐いた。
醜い嫉妬だという自覚はあった。けれども、杉元には自分だけを見てほしかった。せめて、一緒にいる時ぐらいだけでも。
杉元は優しい男だった。ひとたび怒りが爆発すれば手の付けられないほどの化け物に豹変するが、普段は信じられないほど穏やかで朗らかな青年だった。
不意に杉元の温かい眼差しと微笑みを想い出す。私を時おり抱き締めてくれた腕も身体も、今はここにいない。
「アシㇼパ、そこにいたのか?」
ぼんやりとして座り込んでいた私に、尾形が声をかけてきた。珍しいもので、他人に全く関心がなさそうだったのに、杉元の死を伝えてきてからは私に優しく接してくれる。
「また、杉元のことを考えていたのか?」
今さら隠し立てするつもりもないから、私は尾形の問いに、「うん」と小さく頷いた。
「あいつの最期を見届けてやれなかった、って……。最期ぐらい、少しでも杉元に触れておきたかったな、って……。考えれば考えると、後悔ばかりだ……」
私は膝を抱え、うずくまった。杉元の話をしていると、また涙が出そうだ。
尾形は何も言わなかった。代わりに私の隣に腰を下ろし、そっと頭を撫でてくる。
温かい。けれど、この手は杉元とは違う。
「私を、慰めてくれてるのか……?」
思わず訊いてしまった。
頭を撫でる尾形の手が止まった。そんな尾形をチラリと覗ってみると、私を真っ直ぐに見つめる視線がこちらを向いていた。
「――慰めてほしいか?」
逆に問い返された。尾形の射るような視線も私に容赦なく突き刺さる。
わずかな恐怖を覚えたが、尾形から目が離せなかった。互いに視線を合わせていたが、先に目を逸らしたのは意外にも尾形の方だった。
「アシㇼパ、お前は本当に杉元のことしか見えてないんだな……」
溜め息交じりに言う尾形に、私はただ、首を傾げる。
そんな私に、尾形は微苦笑を浮かべて見せた。
「杉元も杉元だ。死んでもなお、アシㇼパから離れようとしないのか……。とんでもない悪霊だな。杉元にずっと近くでうろつかれていたんじゃ、アシㇼパはいつまでも解放されない……」
尾形が私を肩越しに抱き締めてきた。一瞬、何が起こったのか分からずにいた私は、その行為を硬直したまま受け止めてしまった。
「杉元のことは忘れろ」
耳元で囁かれた。
「杉元は死んだ。俺はお前に伝えたはずだ。いつまでも亡霊に囚われたままでいるんじゃない。――俺が、アシㇼパのことを最後まで見届けてやるから……」
尾形の一言一言が、鋭い刃となって私に襲いかかってくる。何故だろう。慰めてくれているはずなのに、全く嬉しくない。
同時に、杉元は死んでなんかないのでは、とも思えてきた。あの不死身の男は、銃弾一発撃ち込まれたぐらいじゃ死ぬわけがない。幾度となく死と隣り合わせながら、それでも生還を果たしてきたのだ。
私はそう尾形に言おうとした。けれど、言えなかった。尾形の気持ちを気遣って、というよりも、この男には決して口にしてはならないという警戒心が働いた。
冷静さを取り戻すと、私は尾形の身体を引き離しにかかった。尾形のことは嫌いじゃない。しかし、本当に抱き締めてほしいのは杉元だけだ。
私が嫌がっていると思ったのか、尾形は腕の力を緩めてくれた。お陰ですぐに尾形から離れることが出来た。
「そんなに杉元が好きか?」
直球で訊かれた。
私はひと呼吸置き、ゆっくりと首を縦に動かした。
「私は杉元が好きだ。たとえあいつが死んでようとも、この気持ちはずっと変わらない。どんな姿であろうと、ずっと側にいてほしいのは……、杉元だけだ……」
そこまで言うと、私は大きく息を吐いた。本人はともかく、他人にも私の想いを打ち明けたことがなかったから、急に胸の鼓動が速くなった。
そんな私を、尾形はどこか冷めた目で見ていた。完全に呆れられている。
「――杉元から解放される気はない、ってことか?」
諦めたように口にしてきた尾形に、私ははっきりと告げた。
「解放も何も……。私は私の意思でこれからも前に進むだけだ。もちろん、私ひとりの力ではどうにもならないことがあるから、尾形達にも助けてもらうことにはなるだろうが……。でも、杉元のことは別だ。私は、どんなことがあっても、杉元を忘れたりなんかしない」
杉元は絶対生きてるから、と心の中で続けた。
尾形は大仰に溜め息を吐くと、「分かった」と言葉を紡いだ。
「これからも助けになってやる。どうせ俺はどこに行っても造反者だ。今の俺にはアシㇼパ達の所しか居場所がない」
尾形から小さな笑みが漏れた。こうして柔らかく笑うことは滅多にないから貴重だ。
私も釣られて、思わず微笑んだ。
「そろそろ戻るか? キロランケと白石も待ってる」
尾形は立ち上がり、私に手を差し伸べてきた。
私は一瞬躊躇ったが、友としてならば、と思ってその手を取った。
【2024年9月16日】