ずっと視線を感じる。どんなに稽古に没頭しようとしても、その視線のせいで集中力が削がれてしまう。
我慢が限界に達した倫は視線の主に、「――あのですね」と続けた。
「そんなにジロジロ見ないでもらえませんか? 気になって仕方がありません」
「だったら、俺がいないと思い込めばいいんじゃない?」
悪びれもせず答える視線の主は口元を歪めながら、倫を凝視し続けている。
倫は大きな溜め息を吐いた。もう、稽古をする気は失せてしまった。手にしていた木刀を元の場所に戻し、道場を出ようとした。
「どこへ行くんだい?」
視線の主に呼び止められた。
倫は視線の主を軽く睨み、やんわりと、しかしきっぱりと言い放った。
「自分の部屋に戻ります。大石さんにあんなに見られていたら、集中なんて出来ませんから……」
「へえ」
視線の主――大石は何を考えているのか、また倫を面白そうに眺める。
「――何ですか?」
一瞬、怯みそうになったが、それでも強気な姿勢を崩さずに言い返す。
すると、大石は突然、喉の奥を鳴らして笑い出した。
「ククッ……、やっぱりお前は面白いよ。俺が相手でも真っ向から突っかかってくる。お前のような強い女、嫌いじゃないよ」
大石の言葉に、倫は腹が立つより脱力した。
やはりこの男はどこか変わっている。人を斬り、そして血を眺めることを何よりも好み、前に倫を庇って斬られた時も何とも言えない恍惚な表情を浮かべていた。
何故、大石をここまでさせているのかは分からない。だが、何となく感じていた。
信頼出来る友のいない大石は、孤独で淋しい存在なのだと。本人ですら気付いていない心の深い奥底で本当は泣いているのではないかと、倫はずっと思っていた。
「――来ますか?」
考えるよりも先に自然と倫は言っていた。
「どこに?」
わざとらしく訊き返してきた大石に対し、倫は仕方なく答える。
「ですから私の部屋です。こんな所で何もせずにじっとしていたら寒いでしょう? ここに比べたら私の部屋は幾分か温かいでしょうから。もちろん無理にとは言いませんけど」
ついよけいなことまで言ってしまった。しまった、と思ったが、大石はそんなことで気分を害するような男ではない。それどころか、倫の言葉に満足したように口元を緩めている。
「素直じゃないねえ。俺を誘いたいんだったらそう言えばいいじゃないか」
「勘違いしないで下さい!」
大石の面白半分な挑発につい本気で怒鳴ってしまった。
部屋に入ると、倫は手近にあった座布団を引き出してそれを大石に勧めた。
大石は我が物顔でその上に胡坐を掻く。
倫もまた、大石と向かい合わせになるように正座した。
まるで見合いでもしているような、変な気分である。
決して広いとは言えない部屋に年頃の男女がふたりきり。まだ明るい時間だから良かったものの、夜だったとしたら何かが起きそうな気がしなくもない。
「何を考えてるんだい?」
大石の声に倫ははっと我に返る。顔を上げると、不敵な笑みを浮かべる彼と視線が合った。
(ちょ、ちょっと……!)
倫は座ったまま後ずさるも、大石もまた彼女に合わせて近付いてくる。
「何をする気ですかっ?」
彼女は大石を突き放そうとするものの、女の細腕で抵抗など出来るはずもない。
大石の距離は縮まり、とうとう倫のすぐ目前まで迫って来た。
「どうすると思う?」
倫の顎を持ち上げながら、大石は訊ねてきた。
「私が訊いているんです! だいたい、あなたは何を考えているんですかっ? しかもこんな明るい時間に……。少しは時と場所を弁えた行動をして下さい!」
「じゃあ、夜だったらどんなことをしても構わないのかい?」
「そういう問題じゃありません!」
倫は部屋中に響き渡るほどの怒声を大石に浴びせた。
と、その時だった。
「冗談に決まってるだろ」
人を小馬鹿にしたような笑いはそのままで、大石は続けた。
「いくら俺でもこんな真っ昼間から女を襲う気はないからね。でも、これぐらいならいいだろ?」
そこまで言うと、彼は予想外の行動を取り出した。突然、倫の膝の上に自らの頭を載せてきたのだ。
「な、何なんですか……?」
「見れば分かるだろ? 膝枕だよ」
悪びれもせず大石は返す。
「そ、それは分かりますけど……」
倫は固まった。
本当にこの男は何を考えているのか。だが、これ以上彼を突き放す気にもなれなかった。先ほどと同様に大きな溜め息をひとつ吐いただけで、あとは何も言わず黙っていた。
「倫」
ふと、大石が呟いた。
「倫は、人が死んだあとどうなるか考えたことはあるか?」
「死んだあと、ですか……?」
突拍子もないことを訊かれ、倫は答えに窮した。それより、何故、そんなことを言ってきたのかが疑問に思えた。
「――大石さんは、どう考えているんです?」
答える代わりに逆に訊ねてみた。
「さあ」
「さあ、って……」
倫は呆れた。
だが、もしかしたら、大石も分からないからこそあえて倫に訊いてみたかったのか。
(人の、死……)
倫は少し考えてから口を開いた。
「これは私が人から聞いた話ですけど、肉体はいずれ滅びても魂は永遠なんだそうですよ。そして、また遠い来世で違う人間として生まれ変わるという。もちろん同じ魂ですから、本質は変わらないのでしょうけどね」
「生まれ変わり、ねえ……」
倫の話に、大石は呟く。
「倫」
「何ですか?」
「俺も、いつか死んだら、また生まれ変われるんだろうか……?」
いつになく弱気な言葉を漏らす。
倫はわずかに驚いたが、半面で自分にだけ甘えてくれる彼に喜びを覚えていた。
「――多分、大石さんも生まれ変わることが出来ますよ」
倫はそう告げると、大石の髪にそっと触れる。
大石はゆっくりと瞳を閉じた。疲れていたのだろうか。やがて、静かな寝息が聴こえてきた。
無防備な姿に、思わず心が温かくなる。
倫は大石を起こさぬよう、彼の唇に柔らかな口付けを落とした。
【初出:2008.3.16】