名残想

大石鍬次郎×志月倫


 秋が深まり、周りの木々も鮮やかに色付き始めている。それを見ていると、美しいと思う半面、季節はこれから厳しい冬へと移ろいでゆくのだという侘しさも感じる。
 ふと、緩やかな風に煽られ、朱色に染まった紅葉がはらりと落ちてきた。
 倫はそれを受け止めようと手を伸ばす。
 葉はゆったりとした調子で舞うように降り、掌に載った。秋の風に吹かれ続けたせいか、少し触れただけで壊れてしまいそうだ。
「あっという間だねえ」
 その時、後ろから抑揚のない声が聴こえてきた。何事にも無気力な男。
 倫は複雑な気持ちを抱きながら、男を軽く睨む。
「またあなたですか、大石さん」
「その言いようだと、俺を全く歓迎していないように感じるけど?」
「――そんなことはありませんけど」
 倫がつっけんどんな態度を取ると、大石は口の端を上げる。
 大石を知らない者が見たら相手を馬鹿にしているように映るだろうが、これは彼なりの喜びを表す仕草である。彼と長く付き合ううちに、倫もそれが分かってきた。
「大石さん、こんな所で油を売っていていいんですか?」
 倫が訊ねると、大石は「別にいいんじゃない?」と呑気に答える。
「町を見ても今日は大物が全く釣れそうにないからな。平和――ああ、嫌だねえ」
 大石の言葉に、倫は心底呆れていた。
 彼女はもちろんだが、周りの人々にとっても平和というものは有り難いと感じるのが普通である。
 しかし、大石は違う。彼は人を斬ることでしか生き甲斐を得られない。それでも最初の頃はまだ良かったのだが、油小路で伊東を斬ってからはさらにそれが強くなってきたように思える。
 あの時の大石の表情は忘れようにも忘れられない。まるで、悪鬼に取り憑かれたかのように恍惚の笑みを浮かべた大石。
 倫の全身は、言いようのない怒りと恐怖に震えたのを憶えている。
 あれから、もうじき一年が経とうとしている。
「もうじき、こいつも終わりか……」
 紅葉を眺めながら、大石がぽつりと呟く。
「美しいものほど命は短くて儚い。強い者もそうだ。まるで、すり抜けてゆくように消えてなくなってしまうんだからねえ」
 大石はそこまで言うと、しばらく口を閉ざした。
 続きがあるような気がして、倫は辛抱強く待つ。
 この男に限って人の命を憂うことなどないとは思っていたが、もしかしたら、大石なりにも考えることはあるのかも知れない。
 ふたりの間に、静かな時間が流れてゆく。
「いっそ腐り果ててしまう前にこいつを斬ってしまおうか」
 やっと口を開いたかと思ったら、大石はとんでもないことを言い出した。
「何てことを……!」
 倫は目を見開きながら声を荒らげた。
「命あるものを簡単に斬るだなんて……。木だって精いっぱい生きてるんです。それを……」
 そこまで言いかけた時、大石は下を向いて肩を震わせ、くつくつと忍び笑いを漏らした。
 倫は眉を顰めた。
「――何がおかしいんですか?」
「いや、あんまり真剣に説教してくるもんだから……。冗談に決まってるだろ。いくら俺でも、本気で木を斬ろうなんて考えもしない」
(冗談って……)
 からかわれたことに気付いた倫は、表情がさらに険しくなってゆくのを感じていた。
 この男は、どうしてこうも人を挑発するのか。本人は楽しんでいるつもりだろうが、された側にしてみたらただ苛立ちが募るばかりである。
 それでも、大石には何故か引き寄せられる。逢えば腹が立つのに、いざ逢えなくなると、心に空洞が出来たかのように淋しくなる。
 嫌いなのに嫌いになれない。だからと言って、好きだと認めてしまうのも癪だった。
(そもそも、大石さんが私にどんな感情を抱いているかも分からないのだから……)
 ふと、大石が倫を見つめてきた。
「な、何ですか……?」
「それは俺の台詞だろ。倫、どうして俺をそんなに見るわけ?」
「見つめてなんていませんよ、別に……」
 倫はぷいと横を向く。
 だが、大石は何を思ったのか、強引に倫の顎を取り、顔を自分へと向けさせた。
 貫くように飛び込む、大石の漆黒に染まった双眸。目を逸らしたくとも、何故かそれを許さない力を持っている。
「倫」
 大石は彼女の名を口にする。そして、その鋭い視線とは裏腹に倫の頬に優しく触れてきた。
「お前のその瞳にいつも映っているのは、誰なんだ?」
 自信過剰な大石らしからぬ言葉だった。
 倫は驚きを隠せず、呆然としてしまう。
「どうなんだ?」
 答えに窮している倫に催促するように、大石は重ねて訊ねてくる。
「誰、と言われても……」
 倫の身体は小刻みに震えている。恐怖や怒りのためではない。それは彼女自身も分かっていた。
「――私は……」
 倫の中では答えが出ている。だが、自尊心が邪魔をして口にすることが出来ない。
 そんな倫を見ながら、大石は小さく口許に笑みを浮かべた。
「なるほど。倫の気持ち、分かったような気がする。考えてみたら、お前は軽々しく男に身を預ける女じゃないからな。だからこそ、俺はお前に興味を持ったわけだし」
「興味、ですか?」
「ああ。俺はただ、機嫌ばかりを伺って媚びる女が嫌いだからね。倫のように気が強くて、男と対等に渡り歩ける奴といた方がよっぽど面白い」
 大石は誉めているつもりなのだろう。しかし、取り方によっては倫は女らしさの欠片もないと言われているような気がする。
 倫の気持ちは複雑だった。一言「どうも」とだけ言い、あとは苦笑いを浮かべるのが精いっぱいであった。
「冷え込んできたな」
 不意に大石が呟く。
「ええ」
 倫も頷く。
 時折通り抜けてゆく秋風。少しずつ、体温を奪ってゆく。
「中に入りますか?」
 倫が訊ねると、大石は意味あり気な視線を投げかけてきた。
「――何ですか?」
「さあ、何だろうね?」
 大石はにやりと笑う。
 倫は一瞬、その笑いの意味を理解出来なかったが、すぐに彼の思惑を察知してしまった。
「勘違いも甚だしいです。大石さん、くれぐれも変な真似はしないで下さいね?」
「ん? 変な真似ってどんな真似?」
 倫の言わんとしていることは充分に理解しているはず。にも拘らず、大石はわざとらしく問う。
 再び、苛々が込み上げる。しかし、怒るのもいい加減疲れてしまい、「もういいです」とだけ答えた。
「ふうん……」
 大石はまだ何か言いたげであったが、倫はそれを無視して踵を返した。
 大石も彼女の後に続き、花柳館の中へ消えて行った。

 ◆◇◆◇

 秋は少しずつ遠ざかってゆく。季節の別れを惜しむように、木からはまた、小さな紅葉が淋しく落ちていった。
 もうじき、辺りは銀色に染まる。

【初出:2008年10月20日】
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