透明な鎖

大石鍬次郎×志月倫


 あんな人、大嫌い。
 大嫌いだったはずなのに、何故、こんなにも――

 ◆◇◆◇

 その男を見かけたのは、倫がたまたま町中を歩いていた時だった。
 特に変わった様子はない。
 気が付くと、倫は一定の距離を保ちながら、男の後を追っていた。
 理由は分からない。分からないが、何故か男が気になって仕方がない。

 どれだけ歩き続けただろうか。すでに陽は傾きかけていた。
(どこまで行くつもりなの……?)
 しだいに不安が募る。
 男は何を考えているのか、町中を外れ、殺風景な荒地までやって来た。
 ふと、彼の足が止まった。
「いつまで俺を着けるつもりかなあ?」
 背を向けたままの男から声をかけられ、倫の心臓は飛び上がりそうになった。
 どうやら男は、倫の存在にとうに気付いていたらしい。
 ここはもう、観念するしかなかった。
「――いつから分かったんですか……?」
「そんなの言われるまでもないな。でも、ちょっと試したくなってね。お前は俺をどこまで追っ駆けて来るだろうかって」
 男――大石はそう言って振り返る。
(完全にからかわれてる……)
 悔しさが込み上げ、倫は唇を噛み締めた。
「で、何で俺のあとを着いて来たんだ?」
「そ、それは……」
 意味ありげな笑いを浮かべる大石に、気になってしまって、などと口が裂けても言えない。
 倫はただ、黙っていることしか出来なかった。
 そんな倫に対し、大石は何を思ったのだろう。突然、彼女の顎に手を添え、顔を近付けてきた。
「な、何を……!」
 倫は咄嗟に大石を睨み付けた。
「ふーん……」
「――何なんですか……?」
「倫、やっぱり俺が気になって仕方がないって感じだよね」
「……!」
 図星を指され、倫は絶句した。
 倫の反応を見て、大石はなおも笑い続ける。
「俺は元々、自分より弱い者には全く興味がないけどさ、倫だけは違うんだよな。そう、お前になら、斬られても悔いはない」
 大石の言葉に、倫の背筋は一気に凍り付く。
「――そんなに、私に殺されたいのですか……?」
 気が付くと、倫自身も驚くほど冷酷な質問を投げかけていた。
 大石は満足そうに答える。
「ああ、存分に斬り刻んでもらいたいね。何なら、今、この場でやってくれても構わない」
「――そんなこと、出来るわけがないじゃないですか……」
 そう告げる倫の身体は、怒りと恐怖で震えている。
「あなたは命を何だと思ってるんですか……? 才谷さんや伊東さんを殺した時もそうだった。まるで、人殺しを楽しんでいるような……。そして今は、自分自身さえも……」
「命、ねえ……」
 倫の心からの想いも、大石には全く通じていないようだった。
 興味がないと言わんばかりに、ただ、彼女を見つめていた。
「倫は、俺を殺す気はないってことかい?」
「当たり前です。私は無駄な殺生など絶対にしたくありませんから」
 倫は短刀を常に持っているものの、それで殺し合いをするつもりなど全くない。むしろ、ひとりでも多くの人が救われることを心から願っているのだ。
「じゃあ、俺を殺せないなら」
 再び、大石が倫に顔を近付けてきた。
「代わりに倫、お前の身体を俺が貰うよ」
 そう言うと、大石は強引に倫を引き寄せ、彼女の唇を自身のそれで塞いだ。
 あまりに唐突なことに、倫は瞠目したまま受け止めてしまう。
 突き放そうとも思ったが、男の力に敵うはずもない。いや、心のどこかでは大石のこの行為を望んでいる自分がいた。
(悔しいけど……)
 倫はゆっくりと瞳を閉じ、大石の背中に自分の両腕を回す。
 長くて深い接吻。生まれて初めて感じる感覚に、頭の芯まで溶けそうになる。

 しばらくして、大石の唇が離れた。
「今日はこれぐらいで勘弁してやるよ。でも、次に逢った時は……」
 大石が言いかけた言葉に対し、倫は問いかける。
「次に逢った時は、何ですか……?」
「倫が思った通りの意味に捉えてくれて構わないよ。じゃあな」
 大石はそう言い残すと、彼女に背を向け歩き出した。
 後を追うことなど出来なかった。ただ、小さくなっていく彼の背中を見つめながら、倫はその場にずっと立ち尽くしていた。
「私が……、思った通りの意味……」
 大石の言葉を、口にしてみる。
 だが、大石の真意など簡単に理解出来るわけがない。分かるのは、大石という男がとても危険であるということ。分かっているのに求めてしまう。
 ふと、倫は指先で自分の唇に触れた。
 まだ残っている生温かい感触。接吻は甘いと聞いたことがあるが、大石の口付けは甘さは全くなく、むしろ苦味を感じた。
(私は、大石さんに囚われてしまった……)
 倫は大石によって繋がれた見えないはずの鎖を目にしたような、そんな錯覚に陥った。

【初出:2007年11月15日】
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