あなただけを想う

野村利三郎×志月倫


 ここ数日、凍えるほど寒い日々が続いていた。雪も連日のように降り、京の町を純白に染め上げていた。
(雪は綺麗だし、嫌いじゃないんだけど……)
 倫は両腕で自分の身体を抱き締めながら、自室から雪景色を見つめる。
 しんしんと空から舞い降りてくる雪。美しい光景ではあるが、さすがに寒さは身に堪える。
 今日は特に用事を言い付けられていないし、一日大人しく過ごしていよう。そう思っていた矢先のことだった。
「倫ちゃん」
 障子の向こう側から、自分を呼ぶ男性の声が聴こえてきた。
 倫は声のした方まで移動し、障子を開ける。
「よっ!」
 そこに立っていたのは、野村だった。人懐こい笑顔を浮かべながら倫を見つめている。
「ねえ、今は暇?」
「え、ええ。特に用事はありませんけど……?」
 それがどうかしたのか、と思いながら倫は答えた。
「そうか!」
 野村は嬉しそうに声を上げると、満面の笑みを浮かべながら続けた。
「じゃあさ、これから俺と外に出るのに付き合ってよ。相馬を誘ったんだけどさ、面倒だからって断られちゃって……。な、いいだろ?」
「え、えっと……」
 倫は返事に窮した。
 本当は、部屋でゆっくり過ごしたい。だが、何故か野村の無邪気な笑顔を前にしてしまうと、無下に断ってしまうのが申し訳ない。相馬に断られたと言っていたのだからなおのこと。
 少し考えて、結局倫は、「――分かりました」と折れた。
「えっ! ほんとにいいのっ?」
 野村の笑顔はほどよりも明るさを増していた。
「いやあ、言ってみるもんだなあ。じゃあ、早速行こうか?」
 野村はそう言うと、半ば強引に倫を連れ出した。
(嫌だと言っても絶対引っ張り出されてるわね、この調子じゃ……)
 そんなことを思いながら、倫は野村に着いて行った。

 外に出ると、室内とは比べ物にならないほどの冷気が襲ってくる。吐き出される息も白く染まり、それを見ただけでよけいに寒さが身に沁みる。
 そんな中、野村に連れて来られた場所は町の一角にある甘味処だった。
「女の子は甘い物が好きだろ?」
 そう言って、店内へと入って行く。寒い外から中に入ると、ほんのりとした温かさを感じる。
 二人は奥まった場所へ落ち着くと汁粉を注文した。
 倫はもちろんだが、やはり野村も温かさを求めていたのだろう。
「――野村さん」
 注文を終えてから、倫は少し疑問に思っていたことを口にした。
「あの、本当に肇さんとここへ来るつもりだったんですか? 肇さんは、甘い物を好き好んで食べるような人ではない気がしますけど……」
 野村は手で顎を擦りながら、考えるような仕草を見せた。
「そうだねえ……。考えてみれば、確かに不思議だよな」
「――答えになってませんよ……」
 野村の返ってきた言葉に呆れ、思わず溜め息が漏れる。

 しばらくして、汁粉がやって来た。
 立ち込める湯気に乗って、何とも言えない甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「ほら! 冷めないうちに食っちゃおう!」
 野村は倫を促し、箸を取る。
 彼女もそれに倣った。
 冷えきった身体に、汁粉のほんのりとした甘みと温かさがじんわりと広がる。
 倫は幸せを噛み締めるように、ゆっくりとそれを口に運んでゆく。
 ふと、視線を感じた。
 動かしていた箸を休め、視線の先に目を向ける。
 倫をじっと見つめていたのは、野村だった。何を考えているのか、にこにこと笑っている。
「――私の顔に何か付いてますか?」
「違うよ」
 つっけんどんな態度を取った倫に対して、野村は気分を害する様子はなく、それどころか、さらに嬉しそうに笑みを浮かべる。
「たださ、幸せそうに食っているから何だかこっちも嬉しくなっちゃってね。やっぱり、相馬でなく倫ちゃんを誘って正解だったよ」
「――そうですか……」
 野村の意図が掴めず、返答に困った。
 相馬の代わりとして、ここまで連れて来られたのか。それとも――
(わ…、私ってば何てことを!)
 とんでもないことが頭を過ぎり、考えを消そうと頭を何度も振った。
「――倫ちゃん……?」
 そんな倫に、野村は怪訝そうな視線を投げかけてくる。
「い、いえ……」
 倫は恥ずかしさのあまり、俯いた。
 このあとはせっかくの汁粉の味も感じず、何とも淋しい気分に陥っていた。

 店を出てから、ふたりは並んで花柳館へと戻っていた。
 倫はもちろんだが、野村も何も話さない。ただ、ひたすら元来た道を歩いている。
 気まずさを感じる。
(でも、何を話したら……)
 話題を必死で探そうとしていたら、野村が急に立ち止まった。
「――倫ちゃん」
 いつもとは打って変わった真剣な表情で、倫を見つめてくる。
 思わず息を呑んだ。
「あのさ、君は好きな奴って……、いる……?」
「――え……?」
 突然の質問に、一瞬、言葉を失った。
「す、好きな人、ですか……?」
「そう。例えば、相馬とか……?」
 何故、ここで相馬の名前が出てくるのか。倫は首を傾げた。
 確かに相馬は良い人だ。好きか嫌いかと訊かれたら、『好き』と答えるかもしれない。だが、倫が愛しているのは――
 倫は野村を見つめ返す。
 言葉にするのは難しい。だからせめて、心の声で伝えようと必死だった。
 その時、野村の手が倫の頬をそっと撫でた。
「倫ちゃんは気付いてなかったかもしれないけど……、俺はずっと君が好きだった。――でも、君は俺が縛り付けてはいけない気がするから……。だから、他に好きな奴がいるのなら、それが相馬ならば俺は身を引くつもりだからさ……」
「――何を、言ってるんですか……?」
 野村の思わぬ言葉に、倫の唇が震えた。
「勝手なことを言わないで下さい。私は、肇さんを好きだとは一言も言っていません。それなのに……」
 そこまで言うと、瞳から涙が零れ落ちた。
 自分の想いが伝わらない哀しさ。そして何より、素直に『好き』と言えない自分に対しての悔しさで。
 倫の涙に野村は驚いていた。だが、これで気持ちが伝わったのか、野村はそっと自分の元へ彼女を引き寄せた。
「――ごめんな……」
 耳元で優しく囁く。
「君の気持ち、分かってるようで分かってなかった……。でも、本当に俺でいいの?」
「そんなこと……」
 倫は野村の胸に顔を埋めながら答えた。
「私は、野村さんじゃなきゃ嫌です……」

【初出:2008年3月16日】
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