ずっと離さない

野村利三郎×志月倫


 ずっと一緒に――
 私はただ、それだけを願っていた。離れてしまっても、せめて心の中ででも繋がっていようと。
 けれど、運命というものは残酷だ。何故、平和を謳い合った同士で戦わねばならないのか。
 仕方がない。頭の中では分かっているのに、感情が着いてゆけない。
 これ以上、誰かが傷付くのは見たくない。大切な人が死んでしまうのは、もう堪えられないの。
 だからお願い。せめて、あなただけでも――

 ◆◇◆◇

 宮古湾海戦から数日が経過した。
 私もその日、庵さんと行動を共にしていたため、あの壮絶な争いは目の当たりにしていた。
 船に乗り込んで来た人達の中に、新選組副長の土方さんと肇さん、そして野村さんもいた。
 私は愕然とした。まさか、こんな形でふたりに再会しようとは夢にも思っていなかったのだから。
 私には、ふたりに敵う力などない。いや、あったとしても、戦いたくなどない。
 庵さんも表面上では戦意を口にしていたが、内心は本気でやり合う気などなかったと思う。その証拠に、不意を衝かれて銃弾を浴びてしまった野村さんを救ってくれた。
 野村さんは死ぬ気だったようだったけれど、庵さんは有無を言わせなかった。庵さんにとって、野村さんは今でも仲間であり、大切な友人。
 そして、私にとっては、誰よりも愛しい人だから――

 ◆◇◆◇

 野村さんを救出してから、私は庵さんと共に花柳館へと帰った。
 ここには医者で花柳流の先代でもある慈照さんがいる。もちろん、野村さんを良く知るひとりでもあるから安心出来るとの庵さんの判断でもあった。
「これはひでぇな……。まあ、お前さんたっての願いだ。やるだけやってみるが……」
 先代は難しい顔をしつつ、一人娘のおこうさんと共に処置を施す。
 当然、私は何も出来ず、ただ、彼が回復することを祈るのみだった。
 一方、庵さんは野村さんの回復を待たずして政府軍へと戻った。
「お前がずっと、野村君の側にいてやるがいい……」
 そう言い残して――

 ◆◇◆◇

 先代の処置は完璧だったと思う。
 けれど、野村さんの意識は相変わらず戻らない。
 眠り続ける彼の側で、私はいつも元気だった野村さんを想い出す。どんなことがあっても前向きで、あの人嫌いな肇さんの心すら解かしてしまった。
 私も初めて逢った時から、彼のひたむきさには心惹かれるものがあった。けれど、最初は恋というより友人としての想いが強かった。
 それが恋愛感情へと変わっていったのは、野村さんが肇さんと共に花柳館を出て新選組へ入隊してからだった。
 当たり前のように側にいたから、気付くこともなかった想い。離れてみて、野村さんがどれほど大切で、私にとって大きな存在だったのか改めて思い知らされた。
 野村さんは私の気持ちなど知らない。彼の優しさを独り占めしたくとも、それはきっと叶わぬ夢なのだろう。
「倫ちゃん、入るわよ」
 障子の向こうから、可愛らしい女性の声が聴こえてきた。
「あ、はい。どうぞ」
 私が答えると、障子は静かに開いた。
 そこにいたのは言うまでもなく、おこうさんだった。
「大丈夫?」
 おこうさんは唐突に訊ねてくると、私の隣に正座した。
「あなた、最近ろくに寝てないでしょう? 野村クンが心配なのは分かるけど、無理をし過ぎてあなたが倒れたりしたらそれこそ彼が哀しむわよ?」
「――すみません……」
 私が謝ると、おこうさんは少し困ったように微苦笑を浮かべていた。
「まあ、一途なところはあなたの長所でもあるけど。野村クンは幸せよね。倫ちゃんのような子にずっと想われていたなんて。これでずっと目を覚まさなかったら、絶対に罰が当たるわよ」
 おこうさんは目を閉じたままの野村さんに話しかける。
 私はそれを、黙って見つめていた。 
 野村さんが元気になること。それが何よりの願い。もし、もう一度目を開けてくれたら、今度はちゃんと自分の想いを伝えよう。私は心の中で決心していた。

 ◆◇◆◇◆◇

 俺は今、闇の中を彷徨い続けている。右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても、本当に何もない。
 ついこの間、俺は土方さんや相馬達と乗り込んだ甲鉄で銃弾を受けた。
 意識が薄らいでゆく中、庵さんが俺を助けるなどと馬鹿げたことを言っていた気がする。
 助かるわけがない。いや、むしろ新選組のために死ねるのならば本望だった。無二の友である相馬だけでも生きてくれたら、と思っていた。
 けれど、半面で心の奥底に燻っていたものがあった。それは花柳館で出逢った少女――倫だった。
 彼女をいつから愛していたのかは想い出せない。何事にも一生懸命な姿も、柔らかなあの笑顔も、全てが堪らなく愛おしかった。
 でも、想いを伝えることなど出来なかった。俺と倫とでは進むべき道が違い過ぎる。着いて来てほしいなどとは言えず、いつものように笑顔で彼女と別れた。
 それでも、倫を忘れることはなかった。
 また、彼女の笑顔を見たい。ずっと、願い続けていた。
 でも、それはもう叶いそうにない。
 俺はあの時、死んでしまった。
 焼かれるような痛みは、不思議とすぐに消え去っていたのだ。そして今は、傷の痛みを全く感じない。
「倫……」
 届くはずもないと分かっているのに、愛しい名前を呟いてしまう。
 俺は武士だ。新選組隊士だ。死ぬ覚悟はずっと出来ていた。
 それなのに、倫を想うと胸が苦しく締め付けられる。
 俺の身体が、心が、彼女を抱き締めたいと煩く叫んでいる。
 と、その時だった。

『……さん……』

 遥か彼方から、微かに声が聴こえたような気がした。
 気のせいだろうか。そう思っていたが――

『……野村……さん……』

 今度は先ほどよりも、はっきりと耳に届いた。
 ――いったい、どこから……?
 俺は辺りを見渡した。
 すると、ある一点に小さな光が見えた。
 俺はそこへ向かって歩き出す。一歩一歩、足元を確かめるように。
 あそこへ行けば、倫に再会出来る。死を覚悟しておきながら狡いと自分でも分かってる。それでも、彼女への愛しさは拭いきれない。
 生きたい。彼女と、いつまでも――

 ◆◇◆◇

 瞼の向こうに、眩しい光を感じた。
 俺はゆっくりと瞳を開け、ぼんやりとした頭のままで目だけを動かす。
 良く知っている懐かしい場所。そして、俺のすぐ側では、倫が気持ち良さそうに眠っている。
 俺は半身を起こそうとした。
「……つ……っ……!」
 突如、胸の辺りに激痛が走った。
 あの暗黒の夢の中とは違い、ここは現実。やはり、怪我の痛みはまだまだ引き摺っているようだ。
「はあ……」
 俺は起き上がるのを諦め、その代わり、腕を伸ばして倫の髪に触れる。手の中で柔らかに解けてゆく。
 俺は嬉しくなり、飽きもせず何度も撫でてみた。
「――ん……」
 その時、倫が小さく呻いた。そして、瞳をぱっと開き、勢い良く起き上がった。
「おはよう」
 目を覚ました彼女に、俺は挨拶した。
 倫はしばらく俺を見つめていた。いったい何が起こったのか、と言いたげだった。
「倫ちゃん、まるで幽霊にでも遭ったような顔をしてるけど?」
 俺は苦笑を浮かべつつ、言った。
「――野村さん……? ほんとに……?」
「ほんとも何も、ここにいるのは、倫ちゃんもよーく知ってる野村のはずだけど?」
「そ、それは分かってますけど……」
「なら、どうしてそんなに驚いてるの?」
「だって……、野村さんが目を覚ますなんて……。もちろん、ずっと願ってました。――でも、心のどこかでは無理かもと……、諦めてましたから……」
「――目を覚ましてがっかりした?」
 俺が訊ねると、倫は強く首を振った。
「がっかりなんてしません。その逆です。私……、野村さんが目を覚ましたら、ずっと伝えたいと思ってたことがあったから……」
 倫の言葉に俺の鼓動は速度を増す。自惚れかもしれないと思いつつ。
「伝えたいことって、何?」
 動揺を悟られぬよう、努めて冷静を装う。
 倫は瞳を忙しなく動かしている。話すか話すまいか、悩んでいるのだろうか。
 でも、やがて思いきったように口を開いた。
「――野村さん、私はずっと後悔し続けてました。何故、早くに自分の気持ちに気付くことが出来なかったんだろう、って。あなたがいなくなってからの日々は、私にとって抜け殻のようでした。淋しくて哀しくて……。だから、二度とこんな想いをしないためにも言います。――野村さん、私は……、あなたを愛してます……」
 最後の言葉は、消え入るように小さくなっていた。それでも、俺の耳にはしっかりと届いていた。
 倫の飾らない素直な想い。俺は嬉しく受け止めた。
「倫ちゃん」
 頬をほんのりと染めている彼女の腕を取り、自分の元へと引き寄せた。
「あっ……!」
 反動で、倫の身体が俺の上に倒れ込んでくる。
 再び激痛が走り、思わず顔を顰めてしまった。
「だ、大丈夫ですか……?」
 心配げに倫が訊ねる。
「へっ、平気だよ!」
 笑って誤魔化そうとするも、自分でもその表情が引きつっているのが分かった。
「そ、それよりも……。もう少しだけ俺に近付いてよ」
 痛みを我慢しつつ、俺は倫に言った。
「え……?」
 倫は首を傾げたが、それでも素直に従ってくれた。
 少しずつ、彼女との距離が縮まる。
 俺は倫の頭を押さえ、自分の唇と彼女のとを重ね合わせた。
 彼女は驚いた表情のまま、瞠目していた。
 それでも構わず、俺は口付けを続けた。
 倫と触れ合うこと。どれほど夢見てきただろう。
 絶対に離さない。離れない。残りの余生は、彼女と共に生きると決めたのだ。

 やがて、どちらからともなく唇が離れた。
「――ちょっと、強引な真似をしてしまったけど……」
 俺は倫の頬に触れながら続けた。
「俺も、君と同じ気持ちだったから。倫、これからも一緒に……」
「――はい」
 倫は頷き、にっこりと笑った。
 俺の一番好きな、最高の笑顔で――

【初出:2008年6月3日】
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