刹那

 私は何をしているのだろう――

 彼に抱かれている間、不意に冷静な自分を取り戻す。
 彼とのセックスはこれまでに経験したことがないほど気持ち良くて、このままどこまでも溺れてしまいたいとさえ思う。けれど、彼を逢瀬を重ねることで彼の大切な人を傷付けてゆくことも分かっているから、彼の温もりを幸せな気持ちで素直に受け止めることは決して出来ない。
 彼の家庭を壊す気はない。だから、私は都合のいい女のままでいい。なのに、彼の心を独占出来ないことに心がギシギシと軋む。
 私が達してからほどなくして、彼の身動きもピタリと止まった。少しばかり私の中に留まり、薄い膜越しに吐き出された欲望を黙々と処理すると、彼は私を強く抱き締めた。
「今夜はどうするの?」
 彼の胸に顔を埋めながら私は問う。
 彼は私の背中に両手を回したままの格好で、「そうだな」と言葉を紡いだ。
「今日は終電に間に合いそうだし。それに、あんまり外泊が多いのもさすがにな……」
「そうね。奥さんもとても心配してるに決まってるもの」
 自分で口にしながら、また胸の奥がチクリと痛み出す。奥さんのことを一番に考えてほしい。それは私の本心なのに、それでも、心のどこかで彼を奪ってしまいたいともうひとりの私が囁く。
「ちょっと、訊いてもいい?」
 私を抱く彼の腕の力が緩んだ。
 ゆっくりと頭をもたげると、先ほどまでの甘い雰囲気とは一変して、真顔で彼が視線を注いでくる。
「いつまでこの関係を続けるつもり?」
 予想もしなかった彼の問いに、私は思わず目を見開いた。
「――ごめん……」
 私が怒ったと思ったのか、彼はばつが悪そうに私から目を逸らし、ポツリと謝罪してきた。
「私のこと、飽きた?」
 怒っていると誤解された手前、出来る限り冷静に訊ねる。
 彼は相変わらず私と目を合わせようとせず、けれど、「そんなことはない」とはっきり答えた。
「ただ、ちょっと心配になっただけだ。――俺がいるせいで、君は新たな恋が出来ないんじゃないか、って」
 ずいぶんと、自分勝手なことを言う。なのに、彼を責める気にはなれない。
 結局、私の存在こそが奥さんにとっては癌そのものなのだから。たとえ、私達のことに気付いていなかったとしても、だ。
「――私は、恋なんてしないわ……」
 私は静かに答えた。
「ただ、あなたを癒せればいい……」
 これは本心であり――嘘だ。
 どうせ、彼を私のものになんて出来ないのだ。こんなに側にいても、届きそうで届かない。どれほど私が強く願っても、彼は最後は一番大切な人の元へと帰ってゆくのだから。
 ならばせめて、私を必要としてくれている間だけでも抱き締めてほしい。狡いと分かりつつ、私は彼に深く口付けた。

【End】