一夜の睦言

 頬の辺りにひんやりとした空気を感じ、私はゆっくりと瞼を開いた。すぐ隣では、整った顔立ちの男性が無邪気な寝顔を見せている。
 私は彼を見つめながら、昨晩のことを想い浮かべる。
 決して忘れることの出来ない一夜だった。息を吐く間も与えてくれない深く激しい口付け、初めて受け入れた時の痛み――
 そもそも、何故、この人は私のような子供を抱いてくれたのか。いや、単純に酔った勢いだったのかもしれない。
 結局はただの過ちで、この人が目を覚ませば、同時に夢も覚める。肌を重ね合って浮かれていたのは私だけで、この人にとっては、ほんの気まぐれにしか過ぎなかったのだ。
 ならばせめて、と思い、私はそっと彼の頬に触れた。
 この瞬間だけでもいい。彼の温もりを感じていられたら、と願いながら。
 その時、彼が身じろぎした。
 私は驚き、けれども手をひっこめるタイミングも失い、彼に触れたままで瞠目する。
 彼が目を覚ました。そして、私を見るなり、優しい眼差しで口元を綻ばせた。
「おはよう」
 表情と同じ、どこまでも優しい声だった。
 私は挨拶を返せず、ただ、彼を見つめ返すのみ。
 すると、彼の手が頬を触っていた私の手をそっと握ってきた。
「どうした? もしかして、昨晩のことを憶えてないの?」
 彼の問いに対し、私は首を横に振る。
「それとも、俺と寝たことを後悔してる?」
 また、黙って首を振った。
「なら、どうして口を利いてくれないの?」
 私を気遣ってくれていることが分かるから、よけいに胸が苦しくなる。
 言ってはいけない。でも、言葉にしないと彼に伝わらない。
 私は小さく深呼吸をし、思いきって口を開いた。
「――あなたこそ、後悔してるんじゃないですか……?」
「何故、そう思う?」
「――だって……」
「『だって』?」
 彼が真っ直ぐな視線を私に注いでくる。
 私は耐えられなくなり、彼から目を逸らし、けれども続けた。
「私なんかを、本気で相手にするなんて……、信じられませんから……」
 そこまで言うと、私達の間に沈黙が流れた。
 怖い。でも、彼の反応が気になり、恐る恐る彼の顔を覗った。
 彼が、哀しげに私を見つめている。
 私はまた、目を見開いて彼を凝視した。どうして、そんな顔で私を見るのか分からない。
「――そんな風に思われてたのか……」
 そう口にした彼は、私の唇を指でなぞってきた。
「酒の力を借りたのは否定しない。でも、だからって君をからかったつもりはない。俺は、本気で……」
 私の身体は彼に引き寄せられた。
 彼の広い胸に抱かれ、私はそのまま固まってしまう。
「すまない。結局は俺の自己満足で君を傷付けてしまったんだな……。君も俺を好きかもしれないなんて、傲慢にもほどがある……」
 そう言いながら、彼の腕の力は強さを増す。
 私は何も言えなかった。ただ、彼の温もりと胸の鼓動を感じ、瞼の奧から熱いものが溢れて零れた。
 彼は自分を、『傲慢』だと言った。でも、彼よりも私の方がよっぽど欲深い。彼の本心を知ったらなお、彼をずっと私に繋ぎ止めたいと強く思ったのだから。
 私は頭をもたげた。そして、口元に弧を描き、そのまま彼の唇に私のそれを重ねた。
 彼は驚いたように受け止めていたけれど、そのうち、彼の方から深く口付けてきた。
 静まり返った部屋に、舌と舌が絡み合う水音が響く。
 どちらからともなく唇を離すと、透明な糸が名残惜しげに繋がっていた。
 私からのキスが答えだと受け止めたのか、彼は昨晩のように私を抱いた。
 ふわりと浮いているカーテンの隙間からは、夜明けの陽光が漏れてくる。
 あと、どれほど愛されるのだろう。朦朧としてきた意識の中で、私はぼんやりと考えていた。

【End】